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「しようのない茶僕だな……」
ひとつ、ごちる声が降って来て。
尊大な足音が一つ吉祥へ近づいてきたではないか。
時代遅れの唐風衣装。震々たる眼光。
まごうことなきシャクンタラーだ。
「え?」どういうことだ。
彼女は、術を封じられ、人化のすべも失っていたはず。それがどうして。状況が呑み込めず、慌ただしく口を開閉させる吉祥から盆を奪い取ると、彼女は颯爽と客席へ向かう。通る後を、掃き清めるような清雅さを従えて。
シャクンタラーは、卓に寄るなり――ドン、と天板に腰かけ、むんずと客のおとがいを掴んだではないか。ぐっと顔を近づけて、あの鋭い目つきで睥睨する。
シャクンタラーの復活に気を取られていた吉祥はようやく我に返った。しまった、ここは客商売の場だった。吉祥のような、にわか茶僕にだってわかる。こんな態度の給仕を客前に出してはいけない。最悪だ――
「タラーさん下がって私がやりますから!」
と、吉祥が止める間もなく、
「まずそうな凡夫だな……さて、丸呑みにしてやろうか、天竺羹に入れて煮込むがよいか。妾は寛大だ、どのような食われ方がよいか、選ばせてやろうぞ。まずはこの茶を飲め。臓腑の中身を洗い流す手間を省くのだ」
鋭い歯を見せ、哄笑とともに、シャクンタラーは客に茶を押し付けていた。
薬叉なので本気だろうがそこはどうでもいい。問題はお客だ。お客はどうしている――?
吉祥の必死の視線の先――お客は、当然と言うべきか、突如現れた、くずれかけの茶肆にそぐわぬ清雅さと暴力性に、鼻白んだようにのけぞり沈黙している。
(事故だ……大事故だ……!!)
吉祥はあまりの惨事に言葉を失っていた。
舖と客のあいだに、地獄のような沈黙があった。
ようやく己の立場を思い出した吉祥は、腰と頭を同じ高さにして客席に突進した。
「もっ、申し訳ありません、この者は接客をはじめて日も浅く――」
客は手をかざし、吉祥の謝罪を遮った。
なんということだ、見限られてしまった。せっかく掴んだ数少ないお客だったのに――! 失意の吉祥がため息とともに頭を上げる。
顔の前に現れたのは、客の手だった。
見上げると、客の顔は紅潮していた。
興奮した様子で立ち上がると、無言で吉祥に握手をもとめた。熱のこもった、力強い握手だった。まるで長く探し求めていたものを見つけたような。
「ありがとう、よい仕事ぶりだった」
隣席の客は羨望の色だ。
彼らの目は、顔だけはきれいなシャクンタラーに釘付けだ。
茶肆の数が城内に飽和した昨今、各店趣向を凝らして客を奪い合う群雄割拠の時代を迎えていた。茶屋の二階が妓楼という花茶肆があり、快男子が給仕する好漢茶肆がある。
そんな時局とあれば、横柄美人の給仕とは、いずれ求められ、必然として生まれる提供形態だった。
開封はこの時代、世界でもっとも成熟した都市のひとつである。
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