エピローグ。評価は後の時代に任せよ。

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エピローグ。評価は後の時代に任せよ。

「サプリュ新報・歴史発見コーナー:担当記者、ヨイズ・アクーリ(下書き・取材時の録音)」  アクーリは題名をキーボードで打った後、メモを書き付けた手帳を見ながら、記事を書き始めた。まだ、下書きの段階だ。 『最近になって、新しい資料が相次いで発見されたため、この当時のことについて、考え直さなければならなくなってきている。  特にヴァドサ・シークという人物について、以前は地味な裏方という印象が強かったが、その考えを改める必要性がある、と資料の分析に当たった歴史学博士のドリーズ・カイグ、サプリュ大学名誉教授は語る。』  アクーラは録音音源を再生させた。自分の声がまず最初に聞こえてくる。 「この時代については、歌劇シリーズ三部作の影響もあって、本当に人気の時代です。五百年以上も昔の話ですが、今ではゲームにもなって人気があります。先生は、この時代の研究の第一人者でいらっしゃいますが、ヴァドサ・シークについて、どのようにお考えですか?」  アクーラがカイグ博士に質問すると、博士は少し考えて口を開いた。 「そうですね。下手なことを口走ると、アンチに袋だたきにされそうで恐いです。」  そう言って、茶目っ気たっぷりに口の端を上げてニヤリと笑っていた。 「先生、そうは仰らずに答えて頂けると……。」  アクーラが困った表情を浮かべて苦笑してみせると、博士は口を開いた。 「歌劇でもそうですし、主要な小説や物語、ドラマ、映画、ゲームに至るまで、真面目で地味なイケメンに描かれています。セルゲス公を守り、彼の死後は実質妻であった女性とその息子達をそれぞれ見守ります。  現実問題として、本当はどうであったかということです。新発見の資料でも、確かに真面目であったと書かれています。既存の記録などに書かれている彼の人物像からも合わせて考えてもみても、真面目な人柄であったようです。ただ、いくつか謎はあります。  晩年では、謎の行動が多くなります。特に、それまで(かたく)なにセルゲス公やその息子達について話すことがなかったのに、突然、歌劇脚本家のオムグ・ブフムイに話をしたのは変です。  ブフムイによれば、熱心に通って話を聞かせて欲しいと頼み込んだとありますが、当時は今ほど身分階級についておおらかではないので、サプリュで一目置かれているヴァドサ家に足繁く通えるのかは疑問です。」  確かに、とアクーラは納得した。十剣術と呼ばれ、国からも認められていた剣術流派の一つである。とても古い剣術一派の一つで、体術や槍、弓なども行い武術全般を身につける、“武”を全面的に打ち出したような一派だ。  そのため、当時はヴァドサ家及び、ヴァドサ流剣術流派の国王軍の入隊率が非常に高かったという。今でも一定数の人が習っている流派だ。 「では、ブフムイの言ったことは嘘というか、彼の演出だと考えて良いのでしょうか?」  アクーラはこの時、博士にそう質問した。 「その可能性も十分にあります。ただ、私はこの演出はブフムイだけの判断だとは思えません。」 「どうしてですか?」 「考えてもみて下さい。ブフムイは当時、新進気鋭の歌劇脚本家ではありましたが、まだ、無名に近い状態の若者です。  それに比べて、取材対象は国王軍で名を馳せた元親衛隊の隊長で、しかもセルゲス公の護衛を務めた人です。その上、ヴァドサ家という大きな家門の一族であるご老人の意向もなしに、勝手にそんな大事な判断をすることができるかどうかということです。」  アクーラは自分に当てはめて考えてみたが、国王軍の参謀長などを努めた後、リタイアしているとはいえ、眼光鋭い老人に取材に行き、勝手に自分主導で取材ができた、などと言ったら十分なお叱りを受けそうである。  そういう場合は、大抵裏でのやり取りがあるはずだ。 「私の考えでは、おそらくヴァドサ・シークの方から接触し、ブフムイにそういうことにしておいて欲しいと頼んだのでしょう。」 「何か、先生がそうお考えになる根拠となるものはありますか?」  博士は(うなず)いた。 「それが先日発見された、ヴァドサ・シークの妻だったアミラの日記です。夫がふらっと出かけるようになり、不審に思っていた所、誰かを部屋に連れこんで何やらしている、という報告を女中から受け、慌てて様子を見に行ったとあります。すると、青年と何やら日記か何かを広げて話し込んでいたという。」 「…妻のアミラは、夫が何か不貞でも働いているとでも思ったのでしょうか。でも、まあ、青年と話し込んでいるだけなら、安堵(あんど)したでしょうね。」  昔の人も女性は同じで、年も関係なく嫉妬(しっと)している所が微笑ましくて、思わず口の端を上げてしまう。すると、博士は真面目な顔でアクーラに告げる。 「君、女性の悋気(りんき)は恐ろしいぞ?」 「先生は何かご経験がおありで?」  思わず聞き返してしまうと、博士はごぉっほん、と咳払いして誤魔化した。 「そうではなく、アミラは夫が七十代であるにも関わらず、その青年と……。」  博士は背伸びしてアクーラの方に顔を寄せて、小声で続きを話した。 「その青年と恋仲ではないのかと疑ったそうだ。」  思わず目が点になった。 「はぁ…。確かにそういうことがあるという話は聞いたことがありますが。昔は意外におおらかだったのですかね?」  それにしても妻のアミラはなぜ、そんなに心配したのだろうか。もしかして、夫は言い伝え以上にいい男だった? それとも、アミラの方が嫉妬深い人だったのだろうか。 「あんまり、開けっぴろげに話しにくいが、当時は君が言った通り、けっこう、男性同士の仲もあってな。特に子孫を残したくない場合には、男性の恋人や愛人もいたそうだ。年上の男性に上手く取り入って、それが出世に(つな)がる場合もあったらしい。」 「……なるほど。」  これはなかなかに記事にはしにくいかもしれない。多くの人の夢を壊すかも? 「妻のアミラは、その青年が自分の出世のために、夫に近づいているのではないかと疑ったらしい。日記に赤裸々に自分の不安を書いてあった。それくらい、夫はモテたようだな。」  博士はニヤリと笑った。 「実際には違い、後でアミラもその青年と会って話をするようになり、打ち解けたようだ。それどころか、その青年とばかり話しているので、夫の方が焼き餅を焼いたという。」 「オシドリ夫婦だったんですね。」  実際のオシドリは結構浮気性らしいが。 「そして、妻のアミラの日記の中に、夫が青年に渡したという冊子の名前が出て来る。」 「何ですか?」  これはなかなかの大発見ではないか。期待に胸が膨らむ。今はもう知ることができない、昔のことを知ることができるのだ。 「国王軍に入った軍人は日誌をつけることを義務づけられる。その彼の日誌だ。」 「ヴァドサ・シーク本人のですか?」  ふむ、と博士は頷いた。 「どうやら、当時、軍を退役する時に、自分が書いた日誌も共に返還されたようだ。」 「そうしたら、ブフムイが書いていた内容と一致しますね?日誌を読ませて貰った、と小説の前書きに書いてあります。」  博士は力を入れて大きく頷く。 「その通り。」 「しかし、今のお話を聞いて分かりました。今までヴァドサ家がアミラの日記を資料として出さなかったのも、アミラの個人的なことが書かれているからなんですね?」 「そうです。」  しかし、業界ではずっと言われていることがあった。なぜ、ヴァドサ・シーク本人の日誌と日記が出て来ないのか、という問題だ。  軍人は几帳面にならざるを得ない。昔から報告書なり日誌なりを書かなければならなっかったからだ。  つまり、十中八九、彼の日誌以外の日記もあるはずである。ところが、彼の日記も、現物の日誌も出て来ない。なぜ、出て来ないのか、それが不思議がられている。 「先生、今になってアミラの日記を公開したヴァドサ家ですが、今後、もしかしたらヴァドサ・シーク本人の日記を公開すると思いますか?」 「まあ、持っていれば可能性はあるでしょう。ただし、ヴァドサ家に保管されていたらの話ですが。」  意味を含ませた博士の発言を、さらに掘り下げて尋ねる。 「先生、それはどういう意味ですか? ヴァドサ家にはないということですか?」 「私は、ないと思っています。」 「それはどうしてでしょう?」 「これは長年、この時代を研究し、そして、ヴァドサ・シークについても研究してきたからこそ思うことなのですが、ブフムイも軍の関係者で、二人は共謀してこの歌劇三部作を制作したのではないかということです。  おそらく、ヴァドサ・シークの日誌も彼が個人的に書いた日記も、すでにこの世からなくなっていると思います。ブフムイが歌劇を書いて世に知らしめる代わりに、彼の書いた物を含め、セルゲス公に関することなど、知られてはならない資料は処分したのでしょう。  処分する前に、歴史の一端はこうだったのだ、という信憑(しんぴょう)性の高い歌劇を作って世間に公表し、隠したい部分はヴァドサ・シークが墓場に持っていったと思います。  だから、ブフムイは自分の書いた脚本を含め、小説も全部書き換えることを禁じている。彼の書いたそれ以前の作品には、そいういことをしていないのに、この作品以降は全て書き換えを禁じています。」 「つまり、意図を持って、そういう話を全国に広めたということですか?」 「そうだと思います。書き換えを禁じる代わりに、ブフムイ本人が人形劇や紙芝居にいたるまで、脚本を書いて劇団に卸しています。」 「つまり、この当時は……確か、ランバダ王の時代だと思うのですが、王の命令でそうした可能性もあるということですか?」 「その可能性は大きいと思います。父親であるセルゲス公の不名誉な話を広げさせないために、あえてこのような話を国中に広めたのではないかと思います。」 「なんだか、裏を考えると権力闘争もありそうですね。では、博士はヴァドサ・シークが金に困ってセルゲス公の話を売ったのではなく、王の命令でブフムイに話をしたとお考えですか?」 「はい。おそらく。そうなれば、今までの彼の生き方からしても、矛盾がありません。彼は最期の最期まで、王室に国に忠誠を誓っていた。そういうことになります。」 「最後に、先生がヴァドサ・シークを一言で表すならば、何と言いますか?」  すると、カイグ博士は躊躇(ちゅうちょ)なく即答した。 「忠義の人です。忠義という言葉は、彼のためにあるようなものだと私は思います。」  アクーラはそこで再生を止めた。    別の学者はこうも述べている。 「歌劇シリーズ三部作『夕陽(ゆうひ)色の髪物語』『藍色の外套(がいとう)物語』『黄金の玉座物語』は、確かに創作である。ただし、色濃く当時の歴史が反映されており、全てが嘘ではなく史実が多いことも分かっている。  特に『藍色の外套物語』では当時の国王軍の体制や仕組み、親衛隊の内情など、内部にいた者でなければ分からないような、詳しいことが描かれており、確実に軍の関係者がブフムイに話をしたのだと考えられる。しかも、ただの下っ端ではないことも明確で、副隊長以上の階級の人間でないと、書かない報告書の書類形式なども作中に描かれている。  しかも、当時少年だったセルゲス公の言動なども、残されていたカートン家のカルテの資料などから、一致する部分も多々ある。  これらのことを踏まえて考えるならば、言い伝えられてきた通り、親衛隊の関係者が証言したということを事実として受け止めてよいと考えられる。  具体的に言えば、途中で生存が分からなくなった、副隊長のベイル・ルマカダではなく、隊長のヴァドサ・シークであろう。彼は天寿を全うするわずか五年ほど前まで、軍で現役であったと伝えられている。」  色んな意見があるが、多くの学者はほとんど一致した意見を持っている。 「『忠義』とはヴァドサ・シークのためにあるような言葉。彼は生涯をもて、忠実に王家に仕えた。彼がいなければ、サリカタ王国はボルピス王亡き後、タルナス王に続き、王を輩出できずに滅んでしまったかもしれない。  セルゲス公を守り抜いたことで、王家の血筋を後世に残すことができた。  ヴァドサ・シーク。彼はサリカタ王国の縁の下の力持ちである。」                            終わり
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