序章

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序章

   目覚めてからしばらく、天井を見上げていた。  ヴァドサ家は古い剣術流派の家柄だ。サリカタ王国では、剣術の試合が盛んで不定期開催の御前試合、首府のサプリュで毎年開催するサプリュ(いち)剣士決定戦、そして、毎年開催の十剣術交流試合がある。  サリカタ王国には、王国が認める十の剣術流派が存在する。  ヴァドサ流はその内の一つだ。これらの剣術流派の者は、身分こそ平民だが、剣族として認められている。つまり、落ちぶれた貴族などよりもその名が通っており、半分特権階級のようなものだ。貴族と平民の中間と言ったところ。そのため、多くの者が剣術を習い、免許皆伝を受けようとする。免許皆伝されれば、剣族の仲間入りとみなされているからだ。だから、剣術が盛んで多くの人が、男女問わず剣術を習う。  だが、シークはそのヴァドサ流の本家の五男であるにも関わらず、一度も剣術試合に参加したことがない。いや、確かにその剣術流派に生まれたからといって、必ずしも剣術の才能があるわけではないので、全員が全員、剣術試合に出場できるほどの猛者になるわけではないし、なれるわけでもない。  それでも、十剣術交流試合の剣士に何度か選出されたことはある。  一度目は十三歳の時。この時は自分がそのために道場に呼ばれたとは思っておらず、子守中に呼ばれたのもあって、慌てて背中の弟を背負ったまま急いで道場に行った。  父はなぜか、五男のシークに対して厳しく、いつも苦虫を()みつぶしたような表情でシークに接する。他の兄弟達に、子守を手伝わせることもしない。兄達や姉達も、父親の顔色を見て手伝うことはしなかった。  もっとも、すぐ下の弟のギークは道場から帰ってくると、手伝ってくれた。そして、今日習った型などを教えてくれた。シークは子守をしながら、手習いの本を読んで学び、一人で母や叔母、女中達や使用人達の手伝いをしながら子守をしていた。  弟を背負ったまま現れたシークに対して、父は最初からいい顔をしなかった。しかも、大勢の弟子達が各地から集まっており、その理由が、もうすぐ十剣術交流試合だからということも考えなかった。自分には関係なかったので、考えることすらなかったのだ。  シークは子守が忙しいので、あまり道場で父に教えて貰っていなかった。代わりに、シークを気にかけてくれる長老達や兄弟子達が、シークに裏庭で稽古(けいこ)をつけてくれた。  免許皆伝している弟子が、シークを小さな弟や妹達と一緒に屋敷に呼んで、個人的に剣術を教えてくれた。その時に母や叔母も一緒に呼び、シークを子守から解放してくれた。母や叔母も、弟子の妻と話をして楽しそうにしていた。  それは逆に言えば、ヴァドサ家総領の父に対して、シークの扱いを不満に思っているからという証拠であったが、子供だったので何も思わず親切に教えてくれると喜んでいた。  そして、長老がシークも呼んで十剣術交流試合の剣士に選ぶかどうか、選考にいれるべきだと言ったので、呼ばれたのだ。何も分からないまま、シークは弟を背中から下ろしてギークに預け、まずは年長の姉や従姉と戦った。いつの間にか自分が強くなっていることを、この時、シークは初めて知った。  次々に勝って従兄達にも長兄にも勝って、ほかの全国からやってきたヴァドサ流の剣士達、分家の道場で学んでいる弟子達にも勝ってしまった。  純粋に勝てたことを喜んでいたが、この時、異様に道場内は静まりかえり、次の瞬間どよめきに変わった。その時、寝ていた弟が泣き出したので、慌ててシークは弟を抱き上げて挨拶をすると、大勢の呼び止める声も聞かずに道場を去ったのだった。  だが、この時から決定的に、長兄や兄達、姉達やいとこ達のシークを見る目が変わったのだ。前はただ距離があるだけだったのに、確実に冷たいものに変化した。  シークが子守しながら遊んだ従弟達も、兄達に何か聞くのか、小憎らしいことを言うようになった。  二度目は国王軍に入隊する直前だ。十五歳から入隊できる。試験に一度で合格したので、母も叔母も喜んでくれた。国王軍の入隊試験は厳しく、一度で入隊できると、一族郎党を上げてお祭り騒ぎするくらいだ。普通の家ではそうなるが、シークの場合は違った。もし、弟のギークだったらもう少し、父も喜んだのだろうと思う。  代わりに、弟妹達が喜んでくれたが、シークがいなくなることを寂しがった。入隊する前の記念になると、ギークなんかはシークよりも張り切っていた。  だが、シークが木刀に小細工して勝ったと従兄弟達が嘘の証言をし、父は調べもせずに立腹し、シークを罰して出場を取り消した。シークよりもギークが腹を立てて父に反抗した。文句があるなら、国王軍にも入隊させないと父が言い出し、母も叔母も反対してようやく入隊させて貰える事態になった。  三度目は十七歳の時だ。国王軍に入隊していても、十剣術交流試合には出場できる。今度は文句なく選出されたが、試合の準備のため家に帰宅してから軍に戻る途中、ならず者達に絡まれて腕を怪我して出場できなくなった。父はシークを激しく叱り、それ以来、十剣術交流試合の剣士に選ばれることはなくなった。  他の剣術の試合は、軍に入隊している間は出場が禁じられている。だから、剣術試合に出たことがないのだ。  もう、そういう時期だった。なんとなく、そうだったなと思って感慨にふけっていた。  サリカタ王国の国王軍は、特殊かもしれない。隊長も含めて二十人編成の隊が最少の部隊だ。大きな戦争でもない限りはこの部隊が基本の隊だ。小さな模擬戦もこれで行う。  大々的な大きな模擬戦で、基本の隊を五つ編成で小隊、小隊を十編成で中隊、中隊を十編成で大隊となって戦う。  国王軍の兵士は全員、歩兵も騎馬兵もできるし、弓兵にもなれる。時と場合によって歩兵か、騎馬兵か、弓兵かに割り振られる。つまり、持久走、乗馬、弓術、剣術、長柄物の武器は基本身につけなければならない。  そんな厳しい世界にあって、シークはなんとかこの基本の隊の隊長になっていた。ただ、出世することは並大抵ではない。  しばらく北方の国境地帯では、小競り合いが繰り返されていたが、リイカ姫の活躍などもあって、今は沈静化している。  沈静化していると平和でいいが、国王軍の兵士達の出番はない。つまり、出世できない状態が続くということだ。  だから、兵士達は次に国王軍の中でも出世街道だと言われる、親衛隊を目指す。戦争がない時分はもっぱら、これだけを目指す。  親衛隊。王や王族の身辺を護衛する役割の部隊だ。以前は特別に親衛隊に入ったら、必要な人数を集めて訓練をしていたが、王族の数が増えて面倒になったのか、なぜか、一部隊まるごと親衛隊に選ばれるようになっている。なぜ、そうなっているのか国王軍の兵士ですら知らない。  だから、親衛隊に入るには、一部隊まるごとの成績が良くないといけない。模擬戦での成績と学力試験の両方だ。  シークの隊は決して成績は悪くないのに、なぜか親衛隊の候補になかなか上がらなかった。国王軍に入った従兄弟達が嫌がらせをしているのは知っているが、それだけで選ばれないわけではないだろう。  シークは考えてみたが、結論の出ない悩みだし、嫌な気分になるだけなので、やめて起き上がった。  隊長には個室がある。着替えて制服を乱れないように身につける。サリカタ王国の住人であるサリカン人は、男性も髪を長く伸ばす風習がある。戦いの時、髪を伸ばして首を守っていたからだ。実際に髪が邪魔をして矢が刺さらなかったり、首を切り損なうことがあった。その髪を()いて後ろで、馬のしっぽのように結んで垂らす。ちなみに兜も髪を垂らせるようになっている。  顔を洗って落ちている髪を拾って捨てると、洗面器の水を排水溝に捨てた。  毎日、決まった行動。  飽きてやめる者もいる。ここにいてもしょうがないと、将来の展望が見えずに帰っていく者も多い。特に華々しく出世しようと夢みていた人に多いかもしれない。  でも、シークはやめるつもりはなかった。家には居づらいし、父を見返したくもあった。なぜ、シークにだけ辛く当たるのか理由が分からない。  それに、隊長と慕ってくれる部下達がいる。彼らを放ってやめるなんてシークにはできない。  それだけで満足だった。確かに出世はできないけれど、生活はできる。慕ってくれる人がいる。ただ、部下達には自信を持って貰いたい。だから、時々、出世したいと望むことはある。  でも、それ以上は望まなかった。それ以上、望めばきっと罰が当たる。人間が欲深いものだと、親族間のいざこざで知っていた。  少しく意地悪をしてくる従兄弟達がいて、ちょうど良いのだろう。不遜(ふそん)にならないために。  長老達に教えを受けていたためか、シークはそういう考えが身についていた。母や叔母、長老達のおかげでシークはひねくれずに成長できたのだ。  そう思えば、感謝できる。  よし、とシークは気持ちを切り替えた。今日も一日が始まるのだ。真面目に目の前のことを全うするのみだ、と気合いを入れた。
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