いつも隣りにいてほしいのは

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「ああライアン。一体今どこにいるんだよ?!」 スタジアムを埋め尽くしたファンの歓声にかき消されないよう、アレックスはスマートフォンに向かって叫んだ。 試合開始を目前に、球場全体の熱気が伝わってくる。 「……ごめん。すぐそばまで来てるんだけど、決心がつかなくて……」 いつもはこんなときでもはっきりと聞こえるほど快活なライアンの声が、今日はくぐもってよく聴こえない。 フィールド上では、地元の大学のブラスバンド部が、今夜の勝利を願うマーチング・ソングを演奏している。 アレックスは、その様子を2階席の踊り場から見下ろしていた。アーチになっているところに隠れるようにして、スマートフォンを耳に押しつける。 彼にとって野球を見る楽しみは、試合の間だけではない。例えば球場に向かう前。パーカーの上に、お気に入り選手のユニフォームを着こみ、ファウルボールを、願わくばホームランボールが飛んでくるのに備えて、グローブも用意する。子どもの頃から数えて三代目のそれは、アレックスの初任給をはたいて買ったものだ。思えば、そのときもライアンが傍らにいた。左手に持ったそのグローブを眺めながら、つい笑みがこぼれる。 アレックスの好みは、黒色のものだったが、ライアンがこげ茶色にクリーム色の革ひもの組み合わせの、このグローブを買えと言って聞かなかった。この方が上手く見えるし、かっこいいし、何より――お前の髪色にはこれが合ってるから、と。ライアンはそう言った。 結局、その奇妙な提案に押し切られるかたちで、アレックスはそのグローブを手に入れた。丁寧に手入れしてきた革の色は、今では深みと艶やかさが加わって、確かにアレックスの髪色に馴染んでいる。 空はだんだんと暮れはじめ、ひんやりとした夜風が頬を撫でる。 そして、いよいよ闇が迫ろうかという頃。ナイター用照明が強烈な光を放つ。アレックスが一番好きなのはこの瞬間だ。球場全体が、文字通り、「生き始める」のだ。選手、観客、球場がまるで一つの生き物になったように、息をし、声を上げ、躍動する。その予感に、その一部になる快感に、身震いするほどの興奮を覚える。 おまけに、今日は特別だ。今この瞬間に、隣にライアンがいて、二人でその興奮を味わうことを、どんなに夢見たことか。なのにせっかくの特等席は、ぽっかりと空いたままだ。この席を取るためにどれだけ苦労したと思ってるんだよ?お前のために――俺とお前の二人の特別な夜のために用意したのに。 「聴こえるか?この歓声。もうすぐ始まるんだぞ。とにかく、早く来てくれよ」
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