激震編 5章 簪Ⅰ 愛しさと切なさと……気まずさ

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激震編 5章 簪Ⅰ 愛しさと切なさと……気まずさ

 [1]  江戸行きの日が近づくが平助は巡察が終われば必ず祇園へ通うことを続けていた。  猫の髪から落ちた簪を拾いあげる。 まだ頬を上気させている猫を抱き寄せ、そっと髪に挿してやりながら 「猫。 江戸土産に流行りの簪を買ってくる。どういうのが欲しい? 」 猫は黙って平助を見上げている。 「どうした? 」 「……平助様にしては気が利くやないのと思うただけどす 」 平助は思わず笑ってしまう。 「俺はそんなに野暮天に見えるか?……簪くらい送ることはある 」 猫はおもしろくなさそうに口を尖らし平助の胸に指を這わす 「ふぅん……簪なんか()おたことないって言うてはったやない 」 平助は笑みを浮かべたまま「本当はどっちか……当ててみるか? 」 「ほんまに当ててええのん? 」猫はおかしそうに笑いながら余裕ぶる平助の目を覗き込む。 「……やっぱり当てなくていい。」そう言いながら身体を起こす。 「前に見せてもらったようなすごい簪は買えないけど……似合いそうなのを探すから 」 「大店の旦那さんらが芸妓や太夫に高価なもん送るんは、『お客同士の見栄の張合い』みたいなもんどすさかい。好きなようにやらせといたらええのんよ。  でも平助様は…… 」 そこで言葉を切って、口には出さず平助の目をじっと見つめる。 ……うちの特別やから値段なんか関係ないん 江戸に行った平助が簪を選んでいる姿を想像してまた一人クスクス笑ってしまう。 平助様のことやから……たぶん お店の人が言うがままに次から次と見せられて、結局どれがええかわからんようなって お勧めとかいうのを買ってしまうんやわ。 それか……選ぶんも恥ずかしくてお店に入ってすぐのところに置いてあるんを包んでもらってすぐに出てきはるか それも平助様らしい 「その顔は、俺の見立てをまったく信用してないんだろ…… 」 すっかりムキになり不貞腐れている平助が愛しい 「……楽しみにしてるわ 」 「絶対、喜んでくれるのを探すから…… 」 「平助様、言うとくけど…… うちが喜ぶようなん探すんは新選組のお仕事よりもっと難しいかもしれませんえ 」 思わず声が弾むのをなんとか抑えてそう言う。 平助は真面目な顔をして『なるほど、そうかもしれない』と頷いた。 平助が屯所に帰る支度を始めると途端に寂しげな表情を浮かべる猫 「江戸から帰ったらすぐ逢いに来るよ 」 あの日…… 俺の共犯になった女を抱きしめた    [2]    ……俺と猫はあの日、壬生寺で共犯になった 正確に言うなら俺の身勝手に猫を巻き込んだだけ…… それでも心に抱えた罪の意識を共有できるただ一人の相手として以前よりもっとお互い求め合い、逢瀬を繰り返していた。  名都と別れたと三浦さんに告げた時、 頭を下げる俺と同じように三浦さんも黙って頭を下げていたが、顔を上げた時その表情には安堵の色が浮かんでいる。 その顔を見て思った これでよかったんだ……もっと早くこうしていればよかったのだと。 そして俺ももう名都に嘘をつかなくていい これ以上は無いというほど名都に対して冷たい仕打ちをしたあの日が、俺が名都についた最後の嘘になる どうか……不実な俺のことなど憎んで早く忘れて別の人と穏やかな人生を歩んでほしい  [3]    一力を出て壬生の屯所へ向かって歩き出してすぐ「藤堂君! 」と声を掛けられた。 物思いにふけっていた平助は、ハッと顔を上げる。 まさに『従えた』という言葉がぴったりくるような堂々としたいでたちで、近藤を連れた伊東がにこやかに近づいてきた。 「伊東先生! 近藤先生も…… 」 その近藤の後ろに山南と阿部十郎、富山弥兵衛も立っている。 「皆さんもご一緒でしたか…… 」 伊東は上洛以来島原を気に入っていて会合をするにも遊ぶにしても島原ばかりを利用している。 伊東だけではない。 ほとんどの新選組隊士達は島原に出入りしている者が多かったせいで祇園で誰かに会うことは珍しかった。 そういえば土方さんは上七軒に出入りしているんだっけ…… ずいぶん遠くまで通うものだと思ったけどこんな風に誰かと会うのが嫌なのだと沖田さんから聞いたことがある。 確かに……平助は心の中で苦笑する。 一力から出てきたところをすぐに声をかけられて気まずい。 特に…… 近藤をちらっと見ると平助以上に気まずそうにそっぽを向いているので余計に気まずい。 伊東が我関せずという感じで端正な顔をほころばせると、 「屯所では山南君が土方君に気ばかり使って息も詰まるだろうから、近藤先生もお誘いして皆で一献酌み交わそうと思ってね 」 「そうでしたか…… 」 「藤堂君も一緒にくるといい 」 「え?! 」 平助以上に近藤が反応するが、平助の視線を感じ慌てて下を向いたり上を向いたり落ち着きがない。 「近藤先生 」伊東が微笑んで一力を見やる。 「近藤先生のお勧めのお店、というのはここでよろしいでしょうか? 」 「あ、はい……先日幕府の永井様とご面会した時に使いましてな。 なかなか良い店なのですよ、 ぜひ伊東先生にも…… 」近藤の語尾がだんだん小さくなる。 「近藤先生……どうされました? 具合でも? 」 「いえ、ちょっと暑くて。 ハハッ 」 「暑い?ですか…… 」 そこ冷えする京の夜の空気に伊東が着物の襟を掻き合わせる。 先ほどから自分とは目を合わせないようにする近藤先生の不審な様子…… 俺は心当たりがあった ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  朝稽古の後、井戸で顔を洗っていた時のこと。 先ほどまで一緒に稽古に励んでいた加納が口元に笑みを張り付けて近づいてくる。 平助の隣で顔を洗おうと桶の水に手を突っ込んで「ひゃ! 冷た! 」と慌てて手をひっこめる。 「加納さん……京は江戸より冷えますから慣れるまでは大変でしょう 」 平助が新しい手拭いを差し出すとそれを受け取りながら 「朝から気合入ってたよな、藤堂ちゃん 」 「巡察の前に体を動かしておきたいんです 」 「相変わらず模範解答だな。 なんで伊東先生はお前みたいな面白みのないやつのことがお気に入りなんだろうな? 」 「伊東先生は皆に親切でいらっしゃいますから……特別、私を贔屓しているわけではないと思います 」 「わかってるならいいよ。 そっちの沖田ちゃんがうちの道場、荒らしに来た時のこと覚えてるか? 無様に敗けて恥かかせたような奴にも先生は情け深くて泣けるわ。 」 「……失礼します。 」平助が立ち上がる。 「うちの先生に比べたらそっちの先生はどうなんだろうな? 」 「近藤先生がなにか? 」 伊東先生のことは尊敬している、でも近藤先生のことも同じように尊敬しているし…… それに……おおらかな近藤先生の人柄も好きでいる。 加納が平助の肩に手を回す「大石が前に長州の間者かもしれない芸妓を引っ立ててきたことがあっただろ? 」 「……え、ええ 」 いきなり君尾の話をふられ戸惑いに瞳が揺れるのを加納がおもしろそうに見ている。 「あの時、土方が言っただろ? あの女は『藤堂の女』だって……あれ本当なのか? 」 「…… 」 「意外だな……俺たちも伊東先生のお供で島原には良く出入りしてるけど。 そこの太夫よりいい女だったじゃないか。 真面目だけが取り柄みたいな藤堂ちゃんがどうやって? 」 君尾のことが気に入ったから紹介してほしいとか、そういう話か……? 「言いたいことがあるならはっきりとおっしゃってください…… 」 平助が怪訝そうに加納を見る。 「おい、 そんなに心配するなよ! 藤堂ちゃんの女に手なんか出さないって。 俺より…… 」 そう言うとあたりに人がいないことを確かめ、平助に顔を近づける。 「おまえのことだからどうせ知らないと思うけど……そっちの先生が 」 加納はその後ももったいをつけてなかなか話が進まなかったが、話の大筋をまとめるとこういうことになる。 大石が土蔵に引き立てた君尾を取り調べた時のこと。 その凛とした強さと美貌を見初めた近藤が何度か店に通い座敷へ呼んでは口説いたという。 君尾にはきっぱり断られたようでやっとあきらめたらしい。 ……ありえなくもない話だけど 近藤先生は江戸では地味な暮らしぶりだったが京へ来て変わった。 花街の女を何人も囲っている。 加納から話を聞いた後に一度だけ猫に近藤先生のことを尋ねたことがある。 「平助様がやきもちやくようなことは何もあらへんわ 」と笑われて終わりだった。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 近藤先生が今、あからさますぎるくらい俺を避けるのはそれが原因なのかもしれないけど…… 気まずいのはこちらも同じだった。 肩をそっと叩かれて振り返ると山南さんが微笑んでいる。 「そう硬くならずに……楽しくやろう。 ちょうど阿部君と富山君のことで君に話もあったんだよ 」 「はい…… 」 俺がうなづくと山南さんが伊東先生に声をかける 「伊東先生。 外は冷えますから中に入りましょう 」 「私が手配してきます…… 」 俺はたった今、出てきたばかりの一力に駆け戻った。
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