1-2 普通であること

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1-2 普通であること

 誠が、オメガが特別なものだとはっきりと意識したのは、小学5年生の夏休みの研修に参加した時だ。第二次性徴が始まる前のこの時期に、5歳児検診の結果オメガバースであると判明した男子が全国から集められ、2週間の研修を受けることが義務付けられている。誠も当然参加することになった。  ターミナル駅に集合し、皆で観光バスに乗って海沿いの街に着くと、リゾートホテルかと見まごうような研修施設があった。誠と同じように、全国からここに集められた子供たちは、再度精密な身体検査を受診し、オメガバースであることの確定診断を受ける。その後、オメガとして生きていくための研修が始まるのだ。  何組かに分かれて受けた講義は、オメガバースの概念から始まり、法律や医学などあらゆる側面からのものだった。男性であっても妊娠可能であるということや、ヒート期の話、アルファとの関係なども、包み隠さず分かり易く教えられた。実際にその場に置かれたとき、戸惑うことが無いように配慮され、オメガ男性の体験談なども交えた充実した内容だったことを覚えている。自分は特殊な存在だということを、誠は子供なりに理解した。  オメガは希少種だ。アルファーオメガ又はオメガーオメガの組み合わせからしか生まれることは無く、その確率もごく低い。その次に数が少ないのがアルファで、それでも人類の10%程度だ。人類の大半はベータとなる。保護される対象という考え方は、誠の子供なりの自尊心を傷つけもしたが、一方で、そんなものに負けるかという反骨心も芽生えた。  そして、その研修のもう一つの柱は、合宿だった。同学年のオメガ男子を集めて共同生活をさせることで、オメガ同士の人間関係を築かせることも目的の一つだったらしい。  オメガという性質上、どうしても孤独な状態に置かれやすく、特に性的側面の悩みを相談できる相手は限られてくる。オメガバースと判っている友人・知人がいることは、精神安定の上でも有効だという研究結果も出ているので、あえて合宿というスタイルを用いて研修をしているそうだ。  誠は、実際にその時に同室になった2人とは、非常に良好な関係を維持している。1人は人気俳優になり、1人は実家のカフェを継いだが、いまだに連絡も取り合うし、会って飲みもする。他の人にはできない秘密事も共有してきた。彼らがいたから、オメガとしての自分を受け入れて前向きに生きてこれたと、誠は本気で思っている。  オメガは、一般的に容姿が整っている。誠もご多分に漏れずだったが、そのことでよかったと思うことは殆どなかった。子どものころから言われた「かわいい」という形容詞がいつしか「美しい」に変わった時は、違和感しかなかった。レース編みのように繊細な容貌と細身のしなやかな身体は、なりたい自分ではない。  昔から男性的な肉体にはどうしてもなることは出来ず、多少トレーニングをしたくらいでは筋肉は薄いままだ。靖文からはこのままがいいと言われるが、誠にとっては「男らしい」が理想だ。何とかできないかと常々思っている。  そんな誠は、靖文の横に並ぶと明らかに人目を惹くほどに映えた。最初は、いかにもアルファらしい男らしさに溢れた靖文が目立っているだけかと思ったが、実際にはそうでなく、二人の相乗効果が作用していることに気がついた。  例えば、付き合い始めの頃、靖文に誘われてホテルのレストランに行った時だ。誕生日祝いにとプレゼントされたカシミアのセーターを素肌の上に着て、少し髪を流してディップで固めた誠と、それをエスコートする靖文の組み合わせに、誰しもが目を奪われているのが判った。  ホゥという溜息が聴こえてくる。 (アルファとオメガかしら) (なんて美しい…)  チラチラと自分たちを窺う視線が後を絶たず、そういう経験の乏しい誠が居た堪れなくなって、隅の目立たない席に替えてもらったくらいだ。それでもチラ見は止まらなかった。  靖文は含み笑いを浮かべ、自分たちが周囲から、アルファとオメガのカップルとして完璧と認識されていることに満足しているらしい。 「なんで、皆に見られるのかな」  むず痒くなって、誠は向かいに座る靖文に小声で囁いた。 「分からないか?」 「分からないよ。目立つのは好きじゃないし」 「やっぱ、俺のコーディネート力はすごいな」  靖文があくまで暢気に楽しそうだったので、誠は腹が立った。こっちは戸惑っているのに、と思う。 「靖文の言うとおりにするんじゃなかった…。裸の上に直に着てくれとか、全然理解できない」 「いいじゃないか。脱がせやすいのは大事だよ」 「…またバカなことを言って」 「よく似合ってる。これ、さらさらで気持ちいいだろ」 「それはそうだけど…」 「あとな、肌が刺激されて敏感になるんだよね」 「は?」  悪戯っ子のようにウインクするのでたちが悪い。こういう時の靖文は、9歳も年上とは思えないと、いつも思う。 「いいだろ。その気で着てろよ」 「…何?プレイってこと?」 「そのつもりだけど」 「…呆れる」 「部屋も取ってあるよ。いい誕生日にしよう」  美しいカップルの会話がこんな内容とも知らない周囲は、未だに誠たちの動静を窺っている。こういう体験は、靖文と付き合うまでは無かったことだったので、誠はいまだに慣れない。むしろ、慣れたくないと思っている。  だから、普段は目立たないようにメガネをかけ前髪を降ろして生活している。服装も地味なものを選んでいる。靖文は最初ばかばかしいと思ったらしいが、今ではちょうど良い虫よけだと笑って受け入れてくれている。 「俺の為にしか見せない姿があるって、そそる」  軽薄そうに言いながらも、彼が自分の気持ちを理解しようと努めてくれているのが、誠は嬉しかった。オメガである不安が軽くなるような気がした。  月曜は通常どおり出社できた。  出社後は総務部に寄り、ヒート休暇の完了届を提出した。こういうプチ手間はあるが、手続きをきちんと済ませることで人事考課上の不利益は発生しない。  オメガが適切にヒート休暇を利用することは、不用意な事件の発生を防ぐ意味でも社会的な意義が高いと考えられている。周期をコントロールし、業務上でも支障が出ないように管理出来ている誠は、むしろ上司からも評価されていた。  誠はオメガであることは公表していない。社内では、直属の上司と総務部の数人が知るのみだ。誠も、社内に自分以外のオメガがいるかどうかは知らない。3000人以上の社員がいるので、オメガが在籍していても当然おかしくはない。だから、常にバレるのではないかという不安が付きまとっている。  以前、同期から取引先に行ったときに、急にヒート状態になったオメガを見たという話を聞いた。その時は大ごとにはならなかったそうだが、他人ごとではない話で、恐怖を感じた。  襲われるということよりも、自分のあの状態を人目にさらすことが、誠にとっては何よりも怖ろしい。つい先日の自分の痴態の記憶はあいまいだ。あいまいになるくらいに溺れている。そんな性を持つ自分は、誰にも知られたくない。性のとりこに変貌した自分を見ても良い人間は、この世で1人だけだ。 「戸山さん」  誠が経理部のフロアに着くと、1年後輩の山下朱音が声をかけてきた。彼女は簿記1級を持っている優秀なスタッフで、人当たりの良い性格から他部署からのウケもよい。入社してから本格的に経理の勉強をした誠を、さり気なくサポートしてくれるので助かっている。 「金曜日に、工務部門から固定資産台帳のチェックが済んで、回ってきましたよ」 「あ、早くに済ませてくれたんだ。助かるな」 「とりあえず、修正入力は進めています。済んだところから、確認作業してもらえますか」 「了解」  いつもながら手際が良いので、仕事がしやすい相手だと思う。午前中をかけて二人で相互チェックし合いながら作業をしたので、誠は「ランチ奢るよ」と彼女を誘った。下町に近いオフィス街にある自社ビルの周りには、食事ができる店が多い。誠は、山下の希望を訊いて、気の置けない天婦羅屋に行った。昭和の店構えで、多少くたびれているが、美味いのでいつも混んでいる。店のテレビには昼の番組が流れていた。 「何食べる?」 「穴子天ランチでもいいですか」 「いいとこ言うなあ。俺は天重にしよう」  山下は食べっぷりも良い。自分たちと同じスピードでパクパク食べていき、定食を残すようなことはしない。いい奴だと誠は思っている。 「体調はもういいんですか?」 「えっ?」  唐突に訊かれて、誠は少し焦った。山下が先週取った休みがヒート休暇だと知っているはずはない。部内で承知しているのは直属の上司だけであり、総務から本人が公表を希望しない限りは極秘に取り扱うよう指示を受けているはずだ。 「いえ、戸山さん、水曜日の昼過ぎから調子悪そうだったから、風邪でも引いたのかなと思っていました」 「ああ、そういうことか」  誠は、ホッとした。山下は邪気の無い表情で話している。多分、感づいてはいないはずだ。 「もう、大丈夫なんですか?」 「熱っぽかったから、大事を取ったんだ。寝ていたら治ったよ」 「そっか…」 「ん?何かある」  山下はさっきまでと少し様子を変えた。 「何でもないです。ただ、戸山さんの様子が似ていたので、少し気になって」 「えっ…」 「私の従妹にオメガがいるんです。ヒートの時の彼女を知っているので…」  言葉が出ない。頭が混乱する。オメガという言葉を彼女の口から聞いたとき、誠は息が止まりそうになった。自分がオメガと疑われているのか。様子を変えてはいけない。誠は必死で平静を装うとした。  その瞬間、店のテレビから聴きなれた声が聴こえてきた。 <是非、お越しください>  靖文だ。意識が正常化のほうへと一気に針路を変えた。  誠は声が聴こえた方に振り返った。テレビの中で、女性タレントとともに店舗を案内するスーツ姿の見慣れた男が微笑んでいた。タレントよりも華がある容姿とさわやかな弁舌。昼の主婦向け番組の時間帯には喜ばれそうだ。  そういえば、グループ企業が新規にオープンさせる都心のビルの宣伝で、生番組に出なきゃいけないとボヤいていたなと思い出した。「苦手なんだよ」「なんで俺が」と言いながらも、如才なくこなしてしまうんだろうとその時は思ったのだが。今日だったんだ。 <ここの店のフルーツは、旬のものが全国の契約農家から集められているんです> <まあ、そうなんですか。永原常務は何がお好きなんですか?> <今の時期だと、柑橘系ですね。ほら、このミカン、きれいでしょう> <ほんとだ。美味しそう~>  タレントとのやり取りを見ていて、クスッと笑えてきた。誠は、ヒートが納まった金曜日の夜の、二人の睦言のようなミカンの食べさせ合いを思い出した。 「どうしたんですか」  山下の声に現実に引き戻される。怪訝な表情だ。急に黙ったかと思ったら、真っ青になったりクスッと笑ったりする誠を見ていたら、当然そう感じるだろう。 「ごめんなさい。私、変なこと言って」 「いや、全然。こちらこそ、急に黙ってごめんよ」 「戸山さん、気を悪くされたんじゃ…」 「ごめん。テレビの方に気が行っちゃって。ミカンがおいしそうだったから」  山下が自分の背面の方にあるテレビの方を向いた。画面では、さっきのフルーツショップから場所を変え、フランスから初出店の焼き菓子の店を紹介していた。 <おいしい!こんな食感初めて~> <お気に召しましたか。よろしければ、私からギフトセットをプレゼントさせてください> <まぁ、嬉しい~。視聴者の皆様にも、是非> <はい、もちろんです。5セットを特別にご用意しています>  張り切り過ぎてワントーン高くなっているであろう女性タレントの賑やかな様子が、画面に映し出されている。靖文の営業用スマイルも絶好調だ。 「行ってみたいですね。あのお菓子、すごく美味しそう」  山下も、話題が変わってホッとしたように見える。自分から振った話題で、場の雰囲気がおかしくなったことが立ち消えて、安堵したのだろう。いつもの和やかな雰囲気を取り戻している。 「でも、テレビで紹介されたから、すごく混雑しそう」 「だろうね。もうオープンしているのかな」 「先週の頭にオープンって言ってましたよ」 「まだ、出来立てか…」 「おしゃれですよね。行ってみたい」 「そうだな」 「あと、この常務さん、無茶苦茶かっこいいですね。こんなイケメンいるんですね」 「だね。俺もそう思う」  図らずも、靖文はリモートで自分を助けたことになった。これをかっこいいと言わずして、何と言おうかと誠は思う。靖文に今さっきの出来事を伝えると、きっとワザとらしく自慢げに振舞うだろう。でも、それが地じゃないことを誠は知っている。  アルファだからかっこいいのではなく、靖文だからかっこいい。自分がオメガだから惹かれるのではなく、靖文だから好きなんだ。  誠は、靖文の仕事には極力関心を持たないようにしてきた。巨大企業グループの御曹司で、一会社員である自分とはスペックが違い過ぎるので、あえて気にかけず付き合うようにしている。実際に二人でいる時はごく普通の恋人同士で、喧嘩をすることも多いし、甘くイチャイチャして過ごしたりもする。仕事の話もすることはあるが、お互いに突っ込んだ話にはならない。  今回のビルのオープンだって、誠はほとんど知らなかった。靖文が忙しいのは年中のことで、先週にそんな行事があったなんて思いつきもしなかったし、彼も何も言わなかった。 (そういえば「死ぬ気で仕事を片付けた」って言ってたな)  ヒートの時、自分の傍にいる為に、靖文がいつもしてくれていることに思いを馳せた。本人はそんな素振りは見せないが、責任のある立場の人間の大変さは、4年も付き合っていたら誠にも察しは付く。  愛されていると思う。自分のどこがそれほど良いのか皆目見当もつかないが、誠が靖文から貰う愛情に疑念を挟む余地はない。  だったら自分も与えたいと思う。彼が愛する価値のある人間でありたいと思うし、彼とともに生きていたい。そして、単に守られるだけのオメガでは、それが出来ないと確信している。
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