大福漢方薬局

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 車と同じように家もセレブでハイテクなのかと期待していたが違った。手入れは行き届いているが、戦前に建てられたと思しき古い洋館で、ほとんど骨董品のような家だ。孫夫婦には息子と娘がいるのだが、娘は結婚してカナダに在住、息子はマレーシアで起業し、父親より金持ちになっているそうだ。道すがら、平順はざっと家族の説明してくれた。  平順は旅行会社を経営しているが、小さな会社だよ、という言葉通り、夫婦の生活は至って質素だった。麗明夫人曰く、車だけは平順の好きな車を選ばせて〝あげている〟のだそうだ。  平順はすぐに俺名義の通帳を作ってくれた。 「ハンコは私が預かる。学費はここから出る。お母さんとの約束だからね」 「今の高校生ってお小遣い、どのくらいなのかしら」  麗明が小首を傾げ、おっとりと尋ねた。 「小遣いはいりません」   つっけんどんに断るのはいかにも可愛くないから、俺は補足説明をした。  ユダヤ人には子供になんとなく与える小遣い、という習慣はない。お金はあくまでも労働の対価だと子供の頃から教えるのだ。子供は自分ができる仕事、例えば、皿洗や掃除など家の手伝いをして、労賃としてお金をもらう。ユダヤの例を出すと、夫人は感嘆した。 「なるほどねえ。ユダヤ式ならお小遣いを渡せるのね」 「はい。その方式でお願いします」  衣食住は平順が負担する。母の父親には世話になった、そのくらいはさせてくれ、と言われたのだ。小遣いも孫家の財布から出るのだ。赤の他人から金を貰うのは施しを受けるようで落ち着かなかった。ユダヤの話を知っていてよかった。こういう理由で小遣いを断るのなら可愛くない子供だ、とは思われないだろう。家庭内の手伝いはもちろん無償でやる。孫夫婦に悪い印象を与えないよう、言動には細心の注意が必要だ。何しろ、こんなにいい条件の養父母は滅多にいないのだ。  生まれて初めて自分の部屋を与えられ、一般家庭での生活が始まった。自分だけの空間がある、というのは最高の贅沢なのだ、と初めて知った。気が緩んでしまって新学期早々寝坊だ。一人部屋はやたらとよく眠れるのだ。慌てて飛び起き制服に着替えてダイニングルームに行くと、夫婦はすでに食後のコーヒーを飲んでいた。 「おはようございます」 「よく眠れたかい?」 「はい。寝坊しちゃって」  挨拶だけして、洗面所に行こうとすると、 「学校まで車で送るから。朝食、ちゃんと食べて行けよ」 「いいんですか」 「今日だけだぞ」 「はい! ありがとうございます」  またレクサスに乗れる。この家では寝坊もオツだ。 「そこに座って。パン、焼くわね」 「自分で焼きます」 「いいから。座ってて」  赤いチェックのナプキンで包まれた弁当が食卓の上に載っている。 「あの、これって……」 「お弁当。持っていきなさい」 「じゃあこれ、お返しします」  昼食代としてもらっていたお金を返そうとしたら、 「お腹が空いた時に困るでしょ。念のため持っておきなさい」  麗明は昼食代と称してやはり小遣いを渡したいらしい。ありがたく受け取ることにした。 「ありがとう」  可愛すぎる包みが恥ずかしかったが、息子を育てあげただけあって弁当のサイズはちゃんと男子高校生仕様だ。でかい弁当でバックパックがかさばるのが何だかくすぐったかった。
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