異端弁護子

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 秋森穂乃果は優秀な弁護士だった。しかし、最近の顔は渋い。それは別に仕事に関してうまくいってない訳ではなかった。  仕事の方に関してはそれこそ腕の良い部分を見せつけ、小さな案件から全て解決してしまっている。それでも秋森の顔がすぐれないのは見ているネット記事に有った。  秋森は最近雑誌に載った事が有った。それは児童相談所に対するいやがらせとしか思えない事をすんなりと解決してしまった事からになる。その雑誌が縁になって面倒な児童福祉に関する案件もまた解決した事が有った。  今回はそれに関してのネット記事で、まあ所属する法律事務所の宣伝である。もちろん秋森個人としての宣伝になり、それは依頼の増量にもなるので良い面も有ったのだが。  彼女はそれを良い事ばかりではないと思っていた。自分は児童福祉に特化している訳ではない。別にどうだって良い。確かに普通の弁護士くらいには知識も十分に有る。でも、面倒だ。  子どもなんて別に好き好んでいる訳でもない。特にキライと言う訳ではないのだが、子ども好きだとは思われたくないくらいの人間なのだった。  しかし、今回の記事には児童福祉に力を入れている弁護士として紹介されている。もちろんそれは嘘で、事務所長が勝手に宣伝の為に言っていただけの事。 「ちょち! おっさん!」  それを確認した瞬間に秋森は上司である所長の事を明らかに好意的ではない権幕で呼びつけていた。 「なんだよ。別にそのくらい良いじゃないか」 「ヤダよ! また面倒な案件が舞い込んだらどうすんだ!」 「いつも通り解決すれば良いだろ」  これには普段強気の彼女もぐうの音も出なかった様子だ。それは確かに秋森なら普通に解決してしまうだろう。得意の裁判によらない、悪く言えば文句で終わらせてしまうことも簡単なのだ。  所長はにっこりと笑うと秋森の肩をポンポンと叩いてから自分の部屋に戻ってしまった。  言い返せなくてボスンと自分の椅子に座った彼女は難しい顔をしていた。 「身から出た錆って奴ですよ」  そんな怒り心頭の秋森にいうのは前島芳樹という彼女の助手で、弁護士ではなくてパラリーガルと言う立場にずっと甘んじている人物だった。 「もとはと言えばお前が、いや、違う。そうだ。あたしが悪い」  反論をしようと秋森が一度立ち上がって、前島の方を睨んだのだったが、段々とトーンを落として今度はストンと座って机に伏せてしまった。  確かに元々は前島の要望によって児童相談所を救けることにしたのだが、その方法もそして依頼料の部分もクリアにしたのは秋森自身だったので結局は自業自得でもあることを理解してしまったのだ。  二度あることは三度あるなんて言うのだが、それは本当にそうなった。  いつもの様に秋森が様々な案件を解決していると、彼女の事を名指しに相談対応の電話が有ったことを告げられた。正直名指しと言うのは嬉しい部分が有る。この事務所は出来高払いなので案件を解決した人間の方が偉いとされる。  しかし、彼女はその案件の内容を聞いた瞬間に俯いてしまった。  それはまた児童福祉に関する案件だった。要望としては依頼主の妻が子供の事を虐待しているので、それを法律の力を使って辞めさせてほしいという事だった。  法律的に解決することは簡単でもある。しかし、これはこんな弁護士事務所に相談するのではなくて児童相談所に相談するのが手っ取り早いだろうと秋森本人は思ったのだが、そんな事を真っすぐに言える立場でもない。一応仕事なのだから。  とは言え、それ以外の方法を考える方が面倒だ。秋森は一度深いため息を吐いてからやんわりと児童相談所に任せる様に説得をして相談料だけをいただこうと言う事に腹を決めた。  小間使いである前島に依頼主と連絡を取らせ、面談の機会を得た。他の案件も有りそれなりに忙しい合間なので、秋森は下調べも適当に話を伺う事になった。  面談には依頼主である夫だけでなく、その妻もそして子供も一緒だったのだが、それくらいは普通かもしれない。まだそこには夫の両親も同席している。なので結構な人数になっている。 「まず、聞きたいのですが。虐待というのは本当ですか?」  一通りの挨拶を済ませてから秋森は堂々と話題を子供のいる前にも関わらず話し始めた。それに対してこの家族は別に気にする様子もない。 「ハイ。間違い有りません。体罰や暴言等の証拠もキチンと用意してます」  そう言うと依頼主である夫は写真とボイスレコーダーを出した。まずその写真には子供の身体に有る痣が写されている、レコーダーの方はその場では聞かなかったが、恐らく子供に対する暴言集なのだろう。  それらを見て秋森は眉間に皺を寄せているが、その横の虐待サバイバーでもある前島はもう怒っている様子も有る。 「これだけの証拠が有るのでしたら、児童相談所に相談をなさってはどうでしょうか?」 「そんなはしたない事ができますか! 我が家はこの町で代々医師を務めているのですよ。普通の家庭と一緒にしないでください。児童相談所に子供を取られたなんて言ったらどんな目で見られるか解ったもんじゃ有りませんから」  返答したのは祖母だった。まあ、それはもちろんヒステリックな雰囲気出今にも高血圧で倒れてしまいそうでも有りそうだった。 「まあ、落ち着いてください。では、お母さんにお聞きしますが、虐待の認識は有ったのですか?」 「それは、まあ。叩いてますし、普通では有りませんから」  完全に認めてしまったので「なんだこいつ等」と秋森は思ったが、それは顔に出さない。 「次にお子さんにお聞きしますが、お母さんは怖い?」  その時に子供は一度母親である妻の事を見たが返答はなくて「そんなの勿論でしょ!」と祖母の方から返事が有った。いっそ高血圧で倒れてくれた方が好ましいと秋森は思いながらも話を落ち着ける。 「えーっと、児童相談所に関してですが、虐待を認識しているのであれば指導等を受けて虐待をなくす方法で解決すると言う事も多いのですが、それではダメでしょうか?」  その辺を勘違いしているのだと秋森は思っていた。児童相談所に相談したなら子供は保護をされて母親は逮捕されてしまう。そう間違った認識が有るのだろうと思っていた。 「解決するにはそんな事では駄目なんです」  恐ろしい権幕でまくしたてられ作戦は崩されそうにすらなる。祖母はとても真剣な顔をしていた。それに困惑しているのは秋森達と子供だけだった。 「この母親を徹底的に敵にして子供の事は私達が引き取れる様にしてください。この子は我が家の跡取りとなるのです」  はっきり言われてしまった。こんな嫁は要らないが子供だけはほしいと言う事なのだろう。そしてそれは家柄に傷付くこともなく母親だけを悪者にして、祖母たちは徹底的に逃げ切りたいらしい。 「取り合えずお子さんのいる前でする話ではありませんね。受付の方が子供には慣れているので預けて細かい話をしましょう」 「そんな必要は有りません。この子は我が家の跡取りとしてしっかりしているのでこのくらいは大した事では有りません。この子も理解しています」  全くこのババアは何を考えているのか分からない。本当に困った事なのだが、それを不思議そうに思っているのは秋森達だけだった。  どうやらこの祖母に関してはこんな人間なのだろう。それは周りの人間の態度からそう思えた。  しかし、これは困った事だ。言うなればこの母親を犯人として送検でもさせろと言う事なのだろう。それはできなくもないのだが、まずそこまでにするなんて事はない。普通なら児童相談所に任せてそれで終わりとなる。 「少しの間休憩にしましょう。飲み物でもお持ちしますね」  普段ならこんな事は無いが、秋森は相談を中断してまだお茶すらも配られてなかったので、頃合いを見て部屋から離れることにした。  相談室から出ると、そこには受付の子が今まさにお茶を運んでいるところだった。 「どうかしたんですか?」 「まあ、サイテーな家族だわ」  呆れてしまっている秋森は受付の子に一言語ってからその場を離れ、一度自分のデスクに座った。「ふー」っと疲れたようなため息を吐いている。そして秋森は助手の方を見た。  前島は怒っていた。彼も相当な人生を歩んでいるのだからこの家族に対して相当な怒りが沸くのは理解ができる。 「マエ! この案件どうしたら良い?」  ちょっと面倒そうな質問。秋森が前島に相談をするなんて事は普段ならない。  だから相談された方の彼はキョトンとしてしまったが、これを機会に自分の腹立たしさを叶えてもらおうとも思った。 「そんなの当然、あの家に置いとくのは反対です。あの子が可哀想です!」 「じゃあ、あの母親と住まわす? 大きな虐待事件になるかもよ」 「それは」  前島は祖母に憤りを覚えていたのだが、今回母親は自らも虐待をしている事を認めている。そうなるとそこでも子供が可哀想になる。なので前島は言葉に詰まってしまった。 「これからあたしはおかしな事を言うけど、お前は黙ってろよ」  キッパリと語った秋森は真剣な顔になって席を立った。グビグビとペットボトルのお茶をビールの様に飲んでから彼女は戦地へと向かう。  相談室に戻るとさっきよりもその場の空気は重たくなっていた。 「そちらの作戦会議は終わりましたか?」  ただその空気を作りながらも冷静な祖母がお茶を飲みながら秋森達に話していた。 「作戦とかは有りませんよ。取り合えず確認をします」  一度空気を整える様に彼女はスンっと真剣な顔になって、この場の人間を一瞥した。 「まずはお母さんから。これから虐待を辞め、ご家族と仲良く暮らす事はできませんか?」 「そんな事は私達は望んでません!」  返答は母親からではなくて祖母の方からだったが、秋森は祖母を制止する様に右手を広げて向けていた。 「ただの確認です」  その時にはニコッと作り笑顔をするので祖母は言葉をなくして、更に秋森は母親の顔を見る。 「残念ですけど、それは有りませんね。きっと子供の事を叩いてしまうし、なによりこの家族と仲良くなんてできません」 「貴方はそんな事を言う資格が有るの? 家柄が良いから嫁にしたのに普通の育児もできないで、それだけでも我が家の汚点になるのを自覚しなさい!」 「今は喧嘩をしている訳では有りませんよ」  また秋森は手をかざしていた。段々と言葉は強くなっている。 「では、おばあ様の方へ聞きます。普通に離婚として子供だけを引き受けると言う事にはできませんか?」 「弁護士さんは家柄と言うものを理解できてない様ですね。簡単に離婚なんてできないんですよ。それこそ事件になるくらいの理由がないと」  これでは祖母の言う通りにしなければならない。母親もその事は覚悟している様で今も驚いている様子なんてなくて平然としている。事務所を訪れた時点でもう家族の意向は決している様子だった。 「すみませんが弁護士としてではなくて、私個人として今回の案件を進める訳にはいきません」  急に秋森はテーブルを叩きながら立ち上がった。それにはこの家族だけではなくて、前島も驚いていた。  秋森という人間は仕事もできる立派な弁護士で、案件を投げ出す事なんてこれまでなかった。たとえ後ろ暗い依頼主だって正義を見つけ出し味方になる。それが彼女の信念でもあった。それなのにこれは敗北宣言なのだろうかと前島は思っていた。  しかし、彼女はこの家族の事をキッと睨むと話を続けた。 「子供の事を虐待して育てられないなら捨てなさい。そして世間体の為だけに子供を囲うなんて事を辞めなさい。なんならあたしがこの子の事を引き取っても良いくらいだ!」  唖然としてしまった。それは前島の考えだったのだが、周りもそうで依頼主達家族もそうだったみたいで、反論はすぐにはできない様子だった。 「しかし、まあ。今回の事は児童相談所に連絡させてもらいます」  そう言うと秋森は自分の携帯で189をコールし始めた。  もちろんそれに対して許さない人間がいた。それは祖母だった。 「そんな事が許される訳がない。弁護士には守秘義務があるでしょ!」 「あります。しかし、児童福祉法には虐待通告に対して守秘義務で妨げられないと言う条文も有ります」  こんなところばかりは法律家になって秋森はそれからきっちりと虐待に関しての通告をして、児童相談所には現在子供を保護しているから直ぐに事務所に訪れる様に言った。  急転直下で事態が変わってしまって、子供はそのまま訪れた児童相談所職員に保護されて、祖母は怒ってしまい帰った。  のんきにそれから秋森は事務所のソファに座って「今日は三日分働いた気分だ」なんて言って仕事をしない。今回の報告書作成だって前島に全て任せてしまっている。 「あのー、秋森さんどうかしたんですか? さっきは別人になったのかと思いましたよ」 「あんだって? あたしがあのばあさんの味方になって母親を訴えると思ったのかい?」  まあ、それも考えられる事だったが、前島はそれを言ってしまえば自分が怒られると思って、黙ってしまった。 「なんだね。あの子供の事が可哀想に思ったんだよ」  前島が黙ってしまっているので秋森はすんなりと本当の事を話した。それでまた前島は驚きの表情で振り返ると彼女の事を見た。ニコニコとして普段ズバッと案件を片付けた時の表情になっている。 「やっぱりいつもと違いますね」  軽くポツリと言うのでそれは相手までは伝わらない。それでも前島は今回の事はそれで良いと思っていた。取り合えずは問題もあまり無く案件は片付いてしまって平穏だけが残っていた。 おわり
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