夜が明けて

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夜が明けて

 三日の月は凍てつく氷の色。触れれば切れる冷たい刃がコルノの正面、山の稜線すれすれで冷たい光を放っていた。両手持ちの剣(クレイモア)を振るう巨漢、騎士・ヒガンが頭上に掲げる斬竜刀は天を衝き、振り下ろすべき刻を待ったまま微動だにしない。投げ置かれた松明(たいまつ)の光を受け、赤々と輝く刀身は5歳児ほどの重量があり、ひとたび振り下ろされればその名のとおり、竜の首を断ち割ってなお勢いが衰えぬほどの破壊力を持つ。  コルノは片手剣を(さや)に収めたまま、右手にピックを握り、機敏に動けるように腰を落として足の裏にすべての体重を乗せていた。成人しているとはいえ、まだ10代で背も伸び続けている彼の体躯(たいく)では、板金鎧(プレートメイル)を着込んだ重量級の相手と斬り結ぶことは出来ない。  勝機を見出すとすれば、相手の打ち下ろす致命の一撃を躱し、直後に生ずる隙に乗じて懐に飛び込むしかなかった。鋭いピックの先端が分厚い板金(プレート)を貫いて、急所に届くことを祈るのみだ。  コルノが心から愛する姫の、甘く切ない叫び声が耳の奥で鳴り響く。 「吾は問う! 神よ、そなたは(まったき)か? と」  一瞬、コルノの視界が真っ暗になった。場面が飛んだ。  胸が熱い。刃渡り5フィートの冷たい鋼鉄の刃がコルノの胸板を刺し貫き、柄が胸骨に当たって止まっていた。攻撃の隙を突いたつもりが、ヒガンは驚異的な握力で打ち下ろした刃を振り切る寸前で押し止めると、そこから斜め上に突いてきたのだ。  傷の痛みで頭の芯に熱が生じ、苦痛で気を失いそうだったが、コルノは堪えた。 「否! 神は(まったき)にあらず」  絶叫とともに右腕を思いっきり、横なぐりに振る。狙いを定める必要はない。ヒガンの側頭部(テンプル)は、ピックの先端が通過する線上にあった。コルノの放った乾坤(けんこん)一擲(いってき)は、相手の頭に深々と刺さっていく。  また暗転した。場面が飛んだ。  コルノは腕に姫を抱いていた。黒曜石(こくようせき)の瞳が彼を見上げ、細い指先が彼のほほを撫で上げている。うぶ毛の先が、快感を伝えてくる。 「これは夢なんですね」  さもなければ致命傷を負った彼がまだ生きているはずがなく、また一介の騎士見習い(スクワイア)が姫君をその腕に抱けるはずがなかった。 「コルノ、さあ早く」  二重のまぶたが閉じられて、艶やかで形のよい唇がわずかに開かれた。甘い吐息がコルノから思考を奪い去る。彼はゆっくりと唇を近づけていった。  そしてまた、視界が暗闇で塞がれていく。  コルノは目を開いた。ベッドの上で仰向けになっている。長い夢から覚めたのだ。それにしても、何と胸騒ぎのするひと夜だったことか。 「姫のお姿を夢に見るとは。ほんとうに好きなのだな、俺は」  枕元で、風が動いた。 「私を呼びました? コルノ」  彼は呼吸を忘れた。目の前に、大理石の女神像ではないかと思われるほど顔 立ちの整った、色白の顔が突き出されたからだ。  それは彼が夢に見るほど憧れている、この国の王女にして「神に愛されし乙女」こと、ブランカ姫その人であった。
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