12月11日のメリークリスマス

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 私には、ごく幼かった頃の記憶がない。  幼児期を忘れてしまうのは自然のことだけれど、私のそれはあまりに極端なのだ。  心に受けた強い衝撃から逃れるために、自己防衛本能が記憶に鍵を掛けたのだろうと医者は言った。  私の一番古い記憶は小学校一年生の教室の中だ。その頃の私が他の子と違っていたのは私には父と呼べる人がいなかったことと、夏でも長袖長ズボンに隠した肌には絶えず繰り返された暴力の痕が染み付いていたこと。  六畳一間のアパートの中、縮こまる私に母は手を上げ続けた。私は怯えて唇を噛んだ、でも泣くのは決まって母の方だった。 『あんたさえいなければ』  その言葉が呪いとなって私を縛るのに、なぜ母は私よりもっと苦しそうに見えたのだろう。    あとになって聞いた話だけれど、母もまた母の両親から酷く心身を傷つけられた子供だったそうだ。食べるのが遅いといってはご飯を取り上げられ、おもらしをしたといっては一日中説教をされて一睡もさせてもらえない。衛生状態は悪く、外に出れば奇異な目で見られて学校にも居場所がなかった。母が受けてきたそれらのことは、そっくりそのまま私の上に繰り返されたのだった。  笑っている母の記憶はひとつもない。  写真もないから、幼い頃の自分がどんな顔をしていたのかも分からない。しかし私は母を嫌いにはなれなかった。私がどうやら完璧に母の思い通りに動けたような日は、邪険に扱われず、温かいご飯を食べられる夜もあった。  殴られるのは自分が悪い子だからで、母は正しいのだと信じていた。母は光で、私の世界の全てだった。  それでも暴力への恐怖と痛みは耐え難く、常に母の機嫌を伺いながらの暮らしは苦しかった。わがままなんて言えるはずもない。私はいつもそわそわとして、手に冷や汗をびっしょりとかいていた。こんなにも母を求めているのに、どうしようもなく怖い。そう思ってしまう自分は、悪い子なのだろうと……。
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