第一話 魔法使いの赤い薔薇

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第一話 魔法使いの赤い薔薇

 この話はジゴロのため息で始まり、侯爵の微笑みで終わる。  *  バレンタイン。  西洋では家族や親しい人に、感謝をこめて贈り物をする日。  国ごとに風習はあるだろう。  ワレスの生まれた国では、男が恋人に赤いバラを贈る。  この日、ワレスは大忙しだ。  朝から何人もの貴婦人に薔薇をくばってまわらなければならない。  一本や二本じゃない。ちょっと疎遠になった昔の愛人にも、この日はバラをバラまく。もはや、“贈る”んじゃない。これは“配達”だ。郵便物に近い。  ジゴロにとって、この日は一年で、もっとも忙しい日なのだ。一人の女に長い時間をついやしたくはないのだが、だからと言って邪険にもできない。難しいところだ。  早朝から近まわりの愛人たちにバラと愛の言葉をくばりまくり、あとは郊外の女を残すばかり。そっちは行き来に時間がかかる。全員には、今日中にくばれないだろう。  皇都から離れる前に、最後に本命のジョスリーヌのもとへ赴いた。  侯爵家の豪華な屋敷へ行くと、ジョスリーヌは不機嫌だった。  ワレスがあとまわしにしたことに気づいたのだろうか? 「親愛なる女侯爵。おれの一番、大切な友人へ。いつも、ありがとう」  と言って、リボンのついたバラを渡すのだが、ジョスリーヌは、ちろりと見るばかりだ。受けとろうとしない。  ワレスは、ため息をついた。 「ジョス。毎年のことだから、あきらめてはいるが、あんたは今日のこの日になると、なんで、いつも、そんなに不機嫌なんだ?」 「ほっといてよ。あなたに関係ないわ」  ジョスリーヌがワレスに対して、こんなふうに言うのはめずらしい。よほど、ご機嫌ななめだ。  ラ・ベル侯爵家の一人娘に生まれ、何不自由ない人生を送ってきたジョスリーヌ。三十代初めで未亡人ではあるが、墓場に入るまでの贅沢を約束されている。それも、そんじょそこらの贅沢ではない。金貨をあぶくのように毎日、何千枚と使い続けても、身代にかすり傷ひとつつけようがないほどの大金持ちだ。どんな贅沢でもしほうだいだ。  ワレスが彼女の境遇に生まれていれば、どんなに幸せだったろうと思う。思うが、言ったところで、今さら生まれつきの身分は変えられない。  なので、せっせとジゴロ業に励むわけだ。 「わかった。わかった。じゃあ、今日はもう帰るよ。明日、また来るからな」  長居はしていられない。  今日はまだ、郊外に屋敷を持つ女が三人も、ワレスの来訪を待ちわびている。  ワレスが絹やビロードや美しいものだけに囲まれたジョスリーヌの部屋を、あわただしく出ていこうとすると、 「バレンタインなんて、大嫌い」  背後で声が聞こえた。  女王さまは、だいぶ荒れている。  どうする?  このまま行くか?  でも、あれは、かまってくれというジョスリーヌのサインだ。  毎年のことだから、不機嫌の原因には根深い理由があるだろう。それをときほぐすには、何時間かかるかわからない。となると、郊外は全滅になる。とはいえ、ジョスリーヌはワレスのパトロネスのなかで、一番の金持ちだ。というか、宿なしのワレスをひろってくれた恩人である。恩人をふりきって、ほかの女のもとへ行くのは、さすがにジゴロ失格だろう……。  ワレスは、くるりとふりかえった。  そして、長椅子にすわるジョスリーヌのもとへ歩みよると、その椅子のまんなかあたりに向かいあわせに腰をおろした。 「言ってみろよ。なんで嫌いなんだ?」 「男がみんなウソつきだと、あばかれる日だからよ」 「うん。おれはウソつきだ。でも、女だってウソをつくだろう?」 「わたしはつかないわ。少なくとも、愛に関しては」 「…………」  それは、そうだろう。  ジョスリーヌほど金持ちで美人なら、並大抵の男は彼女を嫌うはずがない。  つまり、選びほうだいだ。  ウソをつく必要もない。  しかし、ここで反論しても話が進まない。 「そうだな。あんたの美徳の一つだ。そういうところ、嫌いじゃない」  両手をにぎりしめると、ジョスリーヌのおもてに、かすかだが笑みが戻った。 「ウソつきね。でも、わたくしも、あなたのそんなところ、嫌いじゃなくてよ」 「ウソつきだけど、口は堅い。つかえてるものがあるなら吐きだしてみろよ」  ジョスリーヌは語りだした。 「あなたも知ってるように、わたくしは未亡人よ。夫がいたの。死んだけど」 「生きてたら、おれはたったいま、この屋敷から追いだされているな」 「ちゃかさないで。わたしたちの結婚は親どうしが決めたのよ。貴族ではよくあることよ。とくに名門の貴族はね」 「家柄のつりあいがあるからな」  ジョスリーヌほど勝手気ままな女でも、結婚だけは親の言いなりになるしかなかったわけだ。 「わたしの相手は、いとこのエドモンドだった。五つ年上のエドモンド。子どものころから、しょっちゅう、いっしょに遊んだわ。わかるでしょ? 幼なじみって、身近すぎて恋愛の対象になりにくいのよ」 「そうかもしれないな」 「わたしとエドモンドもそうだった。エドモンドは優しくて、おとなしくて、とても内気で、嫌いじゃなかったわ。でも、ひかえめすぎて、正直、男として見たことはなかった」  たしかに、ひかえめな要素しかない。聞いただけで地味な男だ。 「容姿は? 好みじゃなかった?」 「普通だったわ。整ってないわけじゃないけど、皇都じゃ、どこにでもいる平凡なルックスね。あなたほど美男なら、女がほっとかないわよ」 「知ってる」  うなずくと、ジョスリーヌはクスクス笑った。 「せめて会話が、あなたくらいに楽しかったらね。エドモンドの趣味は庭仕事だったのよ。理解できるかしら? わたくしと結婚して侯爵になったのに、あの人、毎日、庭師みたいに泥まみれになって、庭をいじってるの。わたくしが劇場に行きましょうと誘っても、闘技場に行きましょうと言っても、『僕はいいよ。一人で行っておいで』ですって。ふざけてるわ」  侯爵の趣味が庭師……それは、あまりにもパッとしない。 「それで、なんでまた急に、死んだ亭主の話なんかし始めたんだ?」  ジョスリーヌは、それには答えない。淡々と話を続ける。 「わたしたちの結婚は、ラ・ベル家の血筋を絶やさないためだけのものだった。だから、息子が生まれたときに、その使命は果たしたの」  子どもは生まれるんだな。ほんとに侯爵の子どもだろうか?——と、ワレスは考えた。  ジョスリーヌは魔法か女の直感で、ワレスの心を読みとった。 「エドモンドの子どもよ。それは間違いないわ。わたしが浮気をしだしたのは、そのあとからだもの」 「…………」  やっぱり浮気はしてるのか。 「息子ができて、わたしたちの距離は、だんだん遠くなっていった。数日、顔を見ないことはよくあった。夫婦で出席しなければならない宮中の式典で、数ヶ月ぶりに会うことも少なくなかったわ」  そういう状態の夫婦は、貴族社会にはたくさんある。だからこそ、ワレスの商売が繁盛するわけだ。 「イヤなら、離婚すればよかっただろ?」 「貴族は独り身より夫婦のほうが何かと都合がいいのよ。公式の場でね」  言いわけのように、ジョスリーヌは言った。  おや、おかしいなと、ワレスは思う。ジョスリーヌは世間体など気にするような女じゃない。 「それで、あんたがバレンタインを嫌いになった話は、いつから始まるんだ?」 「今からよ」と、ワレスの胸を指さきでつついて、ジョスリーヌは続ける。  だまって聞いておきなさいという意味だ。 「そんな人だったから、わたしはエドモンドからバレンタインのバラをもらったことが一度もないの。エドモンドはそういう気のまわる人じゃなかったし、わたしたちは愛情で結ばれた夫婦ではないから、しかたないことだと思っていたわ」 「じゃあ、いいじゃないか? 気のきかない旦那のかわりに、おれがバラくらい贈ってやるよ」 「でも、ほかの女にはバラをあげていたわ」 「えっ?」
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