序章

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序章

序章 翡翠とも深緑とも取れるターコイズの池に影が差す。朱色の太鼓橋から顔を覗かせたのは、キツイ釣り目に三白眼の何処か浮世離れしたうつくしい青年。 眼下で優雅に泳ぐ鯉を漠然と眺めながら、彼がから傘を傾ける。くれないの和紙が陽の色を変えて白磁の肌にイロを咲かせた。 はらはらと舞う藤の花びらと、微かに揺蕩う華のかおり。何処までも耽美な空間に唯一つ歪な存在が。 堅い軍服に身を包む巨軀なオトコ。微動だにしない表情と野犬を彷彿させる鋭い眼光が只ならぬ威圧を放つ。 から傘の彼に惹かれ声を掛けようとした女はみな、番犬の如く威嚇するこのオトコに怯え逃げていった。それでも諦めきれずに遠巻きに眺める彼女たちの間では、専ら何処か良いところの令息と付き人ではないかと噂になっている。 高嶺の花だと囃し立てる若い女に軍服のオトコーー、萱津[カヤツ]はバレぬよう嘆息した。可哀想に、彼を高嶺の花だと云うのならば咲いているのは嘲笑うように口を開けた食虫植物だ。それを知らぬまま純情を美しい思い出として風化するなんて、なんて残酷なんだろう。 「ご主人様の前でため息をつくなんて、感心しないな。士官学校で尻尾の振り方も忘れたの?」 銀ナイフの如く鋭い辛辣な言葉が飛ぶ。 形の良い眉を吊り上げて唇を三日月に歪めた彼が、いつのまにか目鼻先で妖しげな瞳を光らせていた。その奥には機嫌を損ねた不満の色がぐるぐると渦巻いている。次の罵倒のネタを探して彷徨わせる視線に長らく頼っていた勘が警報を鳴らした。 考えるよりも先に動いた身体が鋭敏に傅く。己の急所で有るうなじを迷う事なく晒し、視線を地面に落としてから割れ物を扱うように掌を取った。
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