おぼろ月夜に愛を誓う

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「あ、あの、陛下」 「はなさない、絶対に」 「でも、わたしは……」  もがく雪鈴を逃すまいと、令賢はさらに腕の力を強めていく。逞しい胸板に、雪鈴の顔が強く押しあてられる。令賢は雪鈴の耳元にささやきかけた。 「雪鈴はおれが、皇帝になるべくして生まれた男だという。その通りおれは、皇帝として生きてきた。国の安定と民の平和だけを願い、この身も心もすべて国に捧げてきた。政も戦も、この手で導くものはすべて民のため。皇帝であるおれが、何かを望んではいけないと思っていた。強く望めば、争いを招くだけだから。だが、雪鈴に出会った瞬間、おれの中で何かが変わった」  令賢の声と体は、かすかに震えていた。灼熱のごとく熱くなっていく令賢の体温を感じ、今にも石化しそうになるのを必死に堪えながら、雪鈴に語りかけているのだと気づく。 「雪鈴に出会った瞬間。おれはあなたのことしか考えられなくなった。国も民も、皇帝としての責務もしばし忘れ、雪鈴だけを欲しいと思った。生まれて初めてだったよ、心から何かを望んだのは。だがおれは青国の皇帝。ひとりの女だけを求めることはできない。それでもあなたを見るたび、雪鈴を欲しいと思う気持ちが強くなっていく。責務と恋心。おれがどれだけ悩み苦しんできたか、あなたはわかっているか?」  それは若き皇帝の、苦悩の吐露だった。皇帝としてどれだけ有能であっても、まだ年若き青年でしかない男だ。悩みも苦しみも当然あり、初めての恋に揺れて悶え苦しむこともある。 「本来の顔を隠し、皇帝としての仮面をつけて過ごすことだけは上手くなった。だが本当のおれは、ひとりで悶々と悩み、恋する女人に会うだけで硬直して、何も話せなくなるような情けない男なのだ」  令賢の悩みも苦しみも、雪鈴には痛いほど理解できる気がした。  魔獣に愛される闇の姫として自らを制し、悪女の仮面をかぶり続けてきた。人間や後宮の妃たちにどれだけ軽蔑されようと、闇妃として過ごしてきた。魔獣たちだけは雪鈴を愛してくれたが、人間である雪鈴では、彼らの本当の仲間にはなれないことも理解していた。魔獣を守るという責務を背負いながら、心の奥底には誰にも言えない孤独と悲しさを抱えていた。 (立場も置かれた状況も違うけれど、わたしと令賢様はよく似てる……。令賢様に会うだけで悶えまくり、まともに話せなくなる情けない女だもの)  役割は違えど、それぞれの仮面をかぶり、素顔を隠してきた。だからこそこれほど強く惹かれあい、互いを求めてしまうのかもしれない。   (わたし、令賢様のおそばを離れて本当にいいの……? でも令賢様に、わたしは、ふさわしくない……)  愛する人の近くにいたいと思う気持ち、愛する人の力になれないと思う劣等感。  それぞれの感情が、雪鈴の心を強く揺さぶる。 「雪鈴、聞いてくれ。青国、丹国、希国の三国の均衡は崩れ始めている。完全に決裂して、三国が戦乱になる前に、おれは三国を平和的な方法で統一したいと考えている。さらに魔獣と人間が、共存していける世界を創っていきたい。だがその道を、たったひとりで歩める自信はない。雪鈴、おれと未来を築いてくれないだろうか? あなたと共に生きていきたいんだ……」  令賢が理想とする世界への道のりは遠く、はてしない孤独が待っている。だがその道に、愛する人が共にいてくれたら──。  令賢の思いと覚悟が、ひしひしと伝わってくる。 (わたしも見たい。令賢様が創られる新しい国の形を)  未来への希望を感じた瞬間、雪鈴の脳裏に想像もしなかった世界が映しだされた。  覇道を歩む令賢帝の傍らに立つ雪鈴の姿。手を繋ぎ、笑顔で歩いている。泣きたくなるぐらい幸せな光景だった。  視えたのは、ほんのわずかな間のことだ。ただの妄想なのかもしれない。だが雪鈴の不安や劣等感をふき飛ばすには、十分なものだった。 「令賢様……わたしでいいのですか? どうしようもなく、ちっぽけな女です。こっそりひとりで泣くし。そんなわたしが貴方様と共に生きることを望んでも良いのですか?」 「おれだって雪鈴の前ではどうしようもなく情けない男だ。雪鈴、おれはあなたが欲しい。共に生きてくれ……」  気づけば雪鈴は、令賢の胸の中で体を震わせ泣いていた。絶望でも悲しみでもなく、歓喜の涙だった。愛する人に求められ、悩み苦しみながらも、それでも共に生きていきたいと願う喜び。 「わたし、令賢様と共に生きていきたい……です。だって令賢様が好き、だから」 「おれも雪鈴が好きだ。あなたを、愛している……」 「わたしも、雪鈴も、令賢様を愛してます……」  雪鈴を抱く令賢の腕の力が、少しだけ弱まった。雪鈴は令賢の胸元から顔を離し、愛しい人を見上げる。 「雪鈴……」 「令賢様……」  雪鈴と令賢の視線が重なる。若き皇帝の顔は真っ赤になっているが、それは雪鈴も同じだった。令賢の顔がゆっくりと近づいてくる。雪鈴は静かに目を閉じた。  おぼろげな月の光と夜の静寂が、互いを求め合う男女を優しくつつみこむ。ようやく迎えることができた甘い時間──となるはずだった。 「なんじゃい、あのふたり。ぶちゅーっとやらんのかい。若い皇帝は弱虫だのぅ」  場の空気を読めない、無遠慮な声が闇に響く。 「だからおまえは黙っとれっ! 丸聞こえじゃろうが」 「二人とも静かしてくださいよ、雪鈴に聞こえてしまうじゃないですか」 「ああっ、もう。いい雰囲気だったのにぃ~」 「ちゅっちゅう~!!」 「お願いですから皆様、どうかお静かに……」  姿は見えずとも、どれが誰の声なのか、雪鈴にも令賢にも理解できてしまった。 「あの、令賢様。わたしたち、ずっと見られていた、のでしょうか?」 「どうやらそのようだな……」  状況を理解できると、雪鈴と令賢は急に恥ずかしくなってしまった。飛び跳ねるように体を離す。 「ああっ、やっぱり気づかれてしまった……。それもこれも全部、石爺のせいですよっ!」 「わしのせい? ちがうよなぁ?」 「いや、おまえのせいじゃ……」  ぎゃいぎゃいと騒ぎ出した魔獣たちの声に呆れながらも、雪鈴はつい笑ってしまった。甘い時間はお預けになってしまったが、不思議と怒る気にはなれなかった。令賢も同じだったようで、月明かりの下で穏やかに微笑んでいる。 「闇妃雪鈴、共に魔獣たちを一喝してやろうではないか」 「ええ、陛下。のぞきは許されませんものね」  同時に手をさしだした雪鈴と令賢は、手をつなぎながら魔獣たちのほうへ向かって歩いていく。  若き皇帝令賢と闇妃雪鈴。  完全無欠に思えて、どこまでも不器用なふたりは、少しずつ少しずつ、距離を縮めていくのだ。 「この手を離すな、雪鈴」 「はい、令賢様」  ようやく両想いとなった雪鈴と令賢は、笑顔で闇の中を歩いていった。
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