17 エピローグ

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 整形外科クリニックの李医師は手術の予定が沢山あり、明里は予想外に仕事が忙しく、晴也自身も本業と副業の休みの折り合いがつかず、結局ロンドンに晶の舞台を観に行くことは叶わなかった。BBCなど複数のカメラが入っていたらしいので、もしかするとBSで放送する機会もあるかもしれないと晶は教えてくれたが、生で見られなかったのは残念である。  空港の案内によると、晶の乗るヒースロー発のJALは予定通りに到着して、手荷物を下ろしているようだった。無事に帰って来て良かったと思う。しかし、どんな顔をして晶を迎えたらいいのだろうか。晴也はやたらと高鳴る心臓に困惑しながら考える。……大袈裟な、普通にお疲れさまと言えばいいんだろうが。それにしても沢山の人がゲートから吐き出されてくる。まず、晶を見つけられるかどうかを気にするべきだと晴也は思った。  出てくる人々を見つめていた晴也は、その時何故かゲートに近づき、自動ドアの少し奥を覗き込みたくなった。そして首を伸ばし、待ち人を見つけた。あらためて心臓がどくんと鳴る。黒い髪の、紺色のジャケットを羽織った、銀縁の眼鏡の男性の姿が見え隠れする。……ショウさんだ。見間違えたりしない。冷房は効いているのに、顔が熱くなった。  晶は銀色のスーツケースだけを持ち、ゆっくりと歩いてきた。こうして見ると、無駄のない足の運びが美しかった。首尾よく早退させてもらえる確約が無かったので、晴也は迎えに行くと、彼にはっきり伝えていなかった。そのため晶は、日本に着いてほっとしたような表情ではあったが、特段嬉しそうだという訳でもない。全く素の晶を観察しているうち、どきどきが耳の中にまで響いてきて、晴也は周囲のざわめきが聞こえなくなった。  5メートルほど先で、開きっぱなしのドアを晶がくぐった。彼はふとこちらを見た。目が合って、ハルさん、とその唇が動いたように見えた。ぎくっとした晴也は、何故か(きびす)を返してその場から逃げ出したくなった。 「ハルさん!」  何も聞こえない中、晶の声だけが聴覚を揺らした。彼は立ち尽くす晴也のところに、スーツケースを引っぱりながら走って来て、晴也を腕の中に捕えた。晴也は驚いて鞄を落としそうになり、一瞬息を止める。 「迎えに来てくれたんだ、嬉しい……」  耳の(そば)で声がした。晴也は何を言えばいいのかわからない。ただ心臓をどきどきさせて、いつもの匂いがしないなどと思っていた。ああでも……確かにこれは愛しい男だった。嗅覚だけでなく、全ての感覚が瞬時に動いた結果、脳がそう判断していた。細胞のひとつひとつが歓喜を始めるのを感じて、晴也は晶の背中に手を回そうとしたが、視界の端に自分たちを見ている人たちの姿が映り、我に返った。 「離せ、人が見てるし邪魔になる」
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