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もう少しだけの勇気
「なんで、俺‥‥。ここに一人でいるんだろう‥‥」
ここは夢と奇跡の理想郷と謳われる遊園地―“アストラルランド”。
首都圏・某県の海浜近くに建設された“星”をテーマにした巨大テーマパークで、年間来場者数は1000万人を超える人気スポットで、カップルたちの定番デートスポットでもある。
『ここは、エデンかアルカディアか、それともシャングリラか。数多の理想郷の最高峰‥“アストラルランド”。貴方様と大切な方を星々が誘います』
というキャッチフレーズのCMが有名だ。
そんな燦爛たる所に、つい先日まで学生だった青年が一人寂しくベンチに座り佇んでいた。
家族連れやカップルたちが楽しそうに笑顔を浮かべており、その光景が青年の気持ちを、より沈ませる。
冷たい風が吹き抜けてきて、思わず手をポケットの中に入れると、何かが入っていた。
取り出すと――くしゃくしゃになった入場券(フリーパスポート付)が二枚。
一枚はちゃんと半券が切られていたが、もう一枚は未使用のまま。
青年は大きなを溜息を吐くと、嫌な思い出がよぎってしまう。
そこへ――
青年が座るベンチの端側に、このアストラルランドのマスコットキャラクターの“スタダス”が腰をかけてきた。
「‥‥なあ、スタダス。聞いてくれよ。好きな相手が居た。入学して初めて会った時から、いつも目で追いかけてしまうほどに‥‥」
青年は心の中に渦巻くモヤモヤを吐き出すために、誰かに聞いて貰いたかったのだろう。
ポツリとポツリと語り始めた。
* * *
同じ教室に居るだけで幸福感が満たされた。恋人同士になれたら、もっと幸せだったのだろう。
だけど、素直におしゃべりできない思春期特有の恥ずかしさが勝り、告白など出来ずに日々が過ぎ去っていった。
何もしなかった訳ではない。この三年間で、お互いある程度は見知った仲にはなった(顔と名前を覚えてくれた)が、SNSのアドレス交換などもしておらず、一緒に遊んだりしなかった。ただのクラスメートな関係に過ぎない。
やがて別れの季節‥‥卒業が近づいてくる。
相手とは別々の進路というのもあり、覚悟を決めて思いを伝えるしかないと踏み切ったのだ。
やはりデートスポットとしても定番である“アストラルランド”のチケットを購入した。
初デートならばアストラルランドという固定概念があったかもしれないし、それしか思いつかなかった。
なお、アストラルランドのチケット価格は学生にとって厳しい値段ではあった。
(貯めていたお年玉やお小遣いが消え去ってしまった)
チケットを手にして、告白をしようとした卒業式の日――
「なんで告白できなかったんだろう」
一言二言しか話すことが出来ずに、学校生活の幕を閉じたのである。
「せめてアドレス交換ぐらいしていれば‥‥」
チケットを無駄にするのは勿体無く、一人でアストラルランドに来たものの、何も楽しくはなく、このベンチに座って時間を潰していたのであった。
「あの時、もう少しの勇気があれば‥‥もう少し話しを出来ていれば‥‥」
「君の気持ち‥‥痛いほど理解できるよ」
「え!?」
突然の相槌な返事に思わず横を向くと、そこにはスタダスではなく、中年の男性が座っていた。
見ず知らずのオッサンに、これまでの心情を漏らしたということに、顔が一気に真っ赤になってしまい恥ずかしさで爆発してしまいそうだった。
中年の男性‥オッサンが話しかけてくる。
「先ほど、もう少しの勇気があればとか言っていたが、ここのチケットを買うだけでも充分に勇気があった証明だと思うよ。高かっただろう、チケット代」
「でも、それを渡せなかったし‥‥」
「チケットを渡せなかったのは‥‥好きだと言えなかったのは、好きな相手に告白をして断れてしまうのが怖かったから、告白をしなかったのではないのかな?」
「!?」
図星を突かれてしまったからなのか、心臓に痛みが生じてしまうほどに強く跳ねてしまった。
「“勇気”と“無謀”は違う。振られる‥‥上手くいかないと思ったから、君は無謀な行動をしなかったのだろう。そういうものだよ。今、ここに来ている数多の夫婦やカップルたちも、そういう思いしてきて、かけがえのない人と一緒になったんだよ」
オッサンは少し息を吐くと、続けて語りかける。
「人を好きになるのは楽しいことや幸せなことばかりではない。もしかしたら後悔していくことの方が多いのかもしれない。けど、それで良いんだよ。いや、それで良いんだと思えるようになれば、大人ということだ」
「おじさんも後悔をしてきたの?」
「ああ。色んな人を好きになって、何度も告白をして、何度も振られて‥‥その度に後悔をしたよ」
「色んな人を好きになるって‥‥それは軽薄なんでは?」
「叶わなかった思い‥‥後悔に縛られるよりは大分マシだよ。だけど、だからこそ、自分の想いに応えてくれた人を、誰よりも何よりも恋しく愛しく思えるんだよ。色んな経験をしてきたから言えるとしたら、好きは更新されていくものなんだよ」
恥ずかしい台詞だった。けど、胸を熱くする台詞だった。
「パパ―」
「あなたー、何処にいるの?」
遠くから呼びかけてくる声にオッサンが反応しては立ち上がる。
「おっと、その愛しい人たちが呼んでいるから、ここで失礼させていただくよ。それじゃ、達者でな」
そうオッサンは言い残して、人混みに紛れ込んでいった。
見ず知らずのオッサンとの会話で、どことなく心がスッキリしていた。
もう少しだけ後悔を引きずるかもしれないが、この後悔の念は無くならないだろう。
「後悔ばかり‥‥。けど、それで良いんだよ、か」
青年も立ち上がり、アストラルランドを後にしたのだった。
* * *
時は流れて、何度も恋をして、失恋をして、何度も後悔をしたが、それでも運命の人と出会い結ばれて、大切な家族となった。
その家族とアストラルランドへ遊びにやって来ていた。
あの渡せなかったチケットは、いつのまにか失くしてしまったが、何度もアストラルランドに来る度に淡くて苦い思い出がよぎってしまう。
「思い出は失くならないな‥‥」
そんな苦い思い出は妻と子供がアトラクションに乗っているのを眺めていると、笑い話の一つになってしまう。
愛しい光景だ。いつまでも観ていたかったが、そこへマスコットキャラクターのスタダスがやってきては、自分の腕を掴んで引っ張っていく。
「ちょっ!?」
戸惑う中、あるベンチの前に連れていかれて座らされた。
そして、その隣には、あの日の――
スタダスが肩をポンポンと叩き、「あとは頼んだ」と言わんばかりに片手を挙げて立ち去っていく。
ここは夢と奇跡の理想郷――
こんな奇跡があっても良いのだろう。
「君の気持ち‥‥痛いほど理解できるよ」
-終-
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