1945年8月6日

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1945年8月6日

 もう少しだけ、塀の内側に入っておけば良かった。そうしたら、うちの右手が吹っ飛ぶこともなかっただろうに。 「母ちゃん、母ちゃん」  片腕の中で、娘の千代の声がする。  大丈夫や、うちも千代も生きてるけえな。そう言いたいのに掠れた声しか出ない。喉も焼けてしまったんだろうか。 「母ちゃん、今のなに? こわい、ぴかって」  わからんね、なんやろね。B-29でもないし、よう晴れてたから雷でもない。でも良かった、千代が生きてて。 「母ちゃん、喉渇いたよ、あついよ」  そうだね、井戸に水もらいに行こうね。ほいでも、井戸がどこにあったやろうか……  皮膚も何もかも焼け爛れ、もはや感覚はない。地面が熱い、暑い、あつい。  8月6日、うちと千代は広島市内に来ていた。訓練で広島を離れていた夫が帰ってくると聞いて、迎えに行ったのだ。  7時過ぎに空襲警報が鳴ったけれど、すぐに解除された。だからきっと今日は大丈夫だと思っていた。よく晴れていて暑い日だった。  あれはなんやったんやろうか。一瞬にして視界が真っ白になった。恐ろしく熱い風がうちらを吹き飛ばす勢いで吹いてきた。たまたま塀の内側にいたうちは、必死に千代を抱きしめていた。  もう少しだけ早く塀の内側に居たら。ずるずると体を引きずるようにして歩く。残った左手でしっかりと千代の手を握る。千代はずっと泣いている。まだ3つになったばかりだ、怖いに決まっている。ごめんな千代、痛いな、熱いな。でもほら、もう少し歩けば川があるから。あそこなら水があるじゃろ。
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