2.湖底に沈んだ記憶

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「本当は、ここで俺は消えると思っていた。長い間探し求めていた記憶が手に入ったので、もう願いは成就したからな。だが、この通り、体はピンピンしていて、消える様子もない。なぜだかは分からんが」 「まだ何か、やり残していることがあるからかの?」 「やり残していること?」 「まあ、幽霊みたいに未練がなくなって消える怪異と、そのまま残る怪異もおるから、何とも言えぬが」 「神仏を呪ったり、人を呪ったりしたことを謝罪する? うーん、それはやり残しているうちに入るのだろうか……」  腕を組んで考え込んでいた少女は、しばらくして、はたと気付いた。 「そうだ! 供養だ! 俺は、村で全員が殺されているのを見て、恐ろしくなって逃げ出した。弔ってもいない」 「なるほど。郷里で供養。確かに、それなら、やり残していることよの。じゃが、長い年月を経て、農地は消えてそこは住宅地になっておるかも知れぬぞ」 「じゅうたくち?」 「人間の住む家が一杯ある所じゃ」 「それでもいい。ここのように、湖の下になっていてもいい。俺は、供養しに行く」  それから少女は、別れを告げ、右手を振って笑顔で背を向けた。  ミコトが少女に「元気でね」と手を振る。(たけ)()は「道中は気を付けよ」と声をかける。ニャン七郎は「道に迷うなよ」と言葉を贈る。  すると、二三歩進んだ少女が、振り返って困った顔をした。 「道が分からん」  ずっこけたミコトだが、よく聞いてみると、勾玉に入れられる直前に見た景色は、今は湖の中。その場所へは、長い放浪の末辿り着いたので、どの方角からどの道を通って来たのかは、思い出せないという。 「じゃあ、何の国の何という村なの?」 「村の名前しか分からん」  少女から村の名前を聞いたミコトが、スマホで検索すると、何百キロメートルも離れた三つの県に合計三箇所あり、いくら怪異でも歩いてここまで来るには無理そうに思えた。  村人が全員殺されて、村は名前ごと消えてしまった可能性もあるので、古文書で遡るしかないが、果たして記録が見つかるかどうか。  ネットで呟くのは良いが、怪異を助けるためなんて書き込めない。  今度は、困り果てた顔をするミコトを、少女が見上げて言う。 「難しいのか?」 「ごめんなさい。かなり時間がかかりそう」 「なら、お前の手を煩わせるのも悪い。ここで供養する。これで、したことにする」  そう言って、少女は湖へ向かって手を合わせ、黙祷を捧げた。 「供養したが、姿は消えないようだな。遅すぎたのかも知れないが……」  祈りを終えた少女は寂しそうに項垂れ、それから顔を上げると、ミコトへ振り返る。 「なあ。お前に付いていっていいか?」 「えっ?」 「お前と出会ってから、急に孤独が辛くなってきたのだ」 「――――」 「無理にとは言わん。だが、俺の存在を認めてくれる誰かの傍らにいたいのだ」  こうして、少女はミコトの写生旅行のお供となり、ミコトから「イズミ」と名付けられた。  少女の姿をしているが、元は男性。イズミなら、男女どちらでも使える名前であることと、湖と泉の音が似ていて、記憶が湖に沈んだ勾玉から取り戻せたことにちなんだのである。  仲間が増えて、賑やかな旅になりそうだ。ミコトは、雲の切れ間が広がって見えてきた青空を笑顔で見上げた。
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