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1.いなくなったペット
八月二日夜23時。長期の夏休みを利用し、趣味でスケッチブックを片手に各地を巡って名跡を描く女子大生の坂中ミコトは、民泊の宿の二階で灰色のジャージに着替え、妙にフカフカの、如何にもお客様用の布団の上で右を下にして横たわっていた。
彼女の目に映る薄茶色の壁紙は、所々に年月を感じさせる染みがあり、地震で出来たと思われる縦方向の亀裂が二本見えるが、彼女の意識はそこになく、今日の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡っていた。
白髪ロングで、頭の後ろに大きな白いリボンを付け、白いドレスを纏う幼女縄口長子と出会った。実は、彼女は自称645歳の白蛇の怪異で、途中から白猫に化けて、今は黒猫の怪異のニャン七郎と一緒に家の外にいる。
その白蛇を追う祓い屋のマサシと長子が神社で戦った。ニャン七郎の加勢もあって勝利したが、長子だけだったらどうなっていただろう。
川へ行ったら女の子が溺れていた。その子を助けたら、ヨーコと名乗り、家まで送っていったらマサシの娘だと判明した。危うく鉢合わせから逃れて、バスに乗って帰った。
帰りのバスには白装束の女性の幽霊が乗っていた。途中で白装束の男性の幽霊が乗ってきて、二人は知り合いのようだった。ああやって、何度もバスの中で逢っているのだろうか。
「今日も色々なことがあったわねぇ」
心の声が、つい、唇から漏れ出る。トートバッグへ顔を向け、身体を起こして手を伸ばし、濃緑の表紙のスケッチブックを手にする。それから、描いた順番とは逆方向にページをめくっていくと、自然と記憶も遡って、印象的な出来事が浮かんでくる。
夫婦大樹の近くに道祖神があった。ネットに写真付きで紹介したから、お参りする人が増えるだろう。
お札による結界で家に入れなくなった子供の幽霊が、結界で家の中に閉じ込められていた母親の幽霊と再会するのを手伝ってあげた。二人は今頃、どこにいるのだろう。
そう言えば、先立った夫が妻に何かを伝えたくて、夜中に窓の外に夫の幽霊が現れたなぁ。
そう思ったミコトが、布団の上で横になっていた時にずっと見ていた壁の上に窓があることを思い出した。厚いカーテンが閉まっているので、もちろん外の様子を窺うことが出来ない。
このカーテンの向こうは、確か、墓地が見えていた。
今、こんな夜中にここを開けたら、自分は普通の人が見えない物――怪異や幽霊――が見える体質なので、墓地を徘徊する幽霊でも見えるだろうか。
立ち上がって開けようか開けまいかと迷う彼女は、白猫と黒猫――長子とニャン七郎――が散歩しているところが運良く見えるかもと、確率が低いはずの出来事に期待をかけ、思い切ってカーテンを右側へ引いた。
「――――!」
息を飲んだミコトは、体が固まった。
窓の下側に予想だにしなかったものが間近に見えたのだ。
それは、暗闇を背景にした少女の丸い顔。少し悲しそうな顔をしていて、目だけでミコトを見上げている。
ここは、二階の窓。と言うことは、少女は宙に浮いている。
――明らかに幽霊だ。
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