プロローグ

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プロローグ

 とある山奥の寒村に、悲痛な声が轟いた。逃げ惑う人々、夜空を焦がす紅蓮の炎。あらゆる物を焼き尽くしてしまう、火竜のブレスが猛威を奮っているのだ。 「逃げろ、向こうの山へ! 早く!」  村の自警団が喉を嗄(か)らしてまで叫ぶ。100人にも満たない村民達は、幼子の手を引く親や、老婆を背負う青年と、顔ぶれも様々だ。  果たして逃げ切る事が出来るのか。混乱極まる思考では、確たる算段など浮かばず、ただ身を隠せる場所を目指すだけである。  そんな最中。人の流れに逆らって駆ける男の姿があった。瞳を焦りで見開き、荒い呼吸には構いもせず、一心不乱に走り続けている。その暴挙は自警団に見咎められ、強く引き止められた。 「何してんだ! 早く逃げねぇと食われちまうぞ!」 「通してくれ、家にはまだ、身重の妻が……!」  男が叫ぼうとする傍から、竜が炎を吐き散らした。それはワラぶき屋根の家屋に襲いかかり、全てを灰燼に帰そうとする。 「うわぁ! ヨハンナーー!」 「バカ! もう助からねぇぞ諦めろ!」  男は自警団に羽交い締めにされつつも引き下がらず、なおも叫び続けた。 「嘘だ、こんなの嘘だ! ヨハンナーーッ!」  高火力の炎はあらゆる物を焼き尽くした。道端の名もなき草も、打ち捨てられた木の柵も朽ちていく。家屋の中で怯える女も、間もなく同じ運命を辿るだろう。  そう思われたのだが、異変は起きた。一迅の風と共に人影が駆けたかと思えば、全ての炎が渦を巻きながら天に昇った。そうして闇夜を照らしたのも束の間、無数の火の粉に分かれ、散り散りになって消えた。 「これは、いったい……」  男たちは信じられない思いで眺めた。所々で燻(くすぶ)る火の粉を灯りにして、不意に現れた、大人と呼ぶには幼すぎる青年の姿を。  銀のメッシュが入る黒髪は、伸び晒したように頬までを覆う。背丈はやや低い。細身の身体は鼠色のマントで包みこみ、下は擦り切れたズボン、皮のゲートルという装い。  いかにもみすぼらしい人物なのだが、立ち振る舞いは騎士以上に頼もしい。あの屈強な魔獣、ましてや竜と相対しても怯む気配は無く むしろ侮る素振りすらみせた。 「人里にノコノコやって来た竜種か。お前、冬ごもりに失敗したクチだろ? 間抜けなやつめ、痛い目みる前に消えろ」  そんな言葉で煽られた竜は重たく唸った。予期せぬ事態に困惑こそしたものの、すかさず強者としてのプライドを取り戻したのだ。  竜は首を低く下げ、口を大きく開きながら突進した。矮小なニンゲンなどひと飲みにしてやる。そんな構えだった。 「人間をなめんなよオラァ!」  青年はさり気無い仕草で足を振り上げて、かかとを叩きつけた。それは竜の舌と下アゴに痛烈な一撃を浴びせ、巨体が顔から地面に沈み込んだ。  痙攣して動かなくなる竜。しかし手痛い反撃はここで終わらなかった。青年が尻尾に取り付くと、巨大な身体が浮き上がり、更にはフレイルの要領で回転し始める。  これには村人たちも頭を抱えてうずくまった。周囲にとてつもない暴風が吹き荒れた為で、下手すれば飛ばされかねないからだ。実際、屋根の藁だとか、道端の小石が夜空の方へ消えていった。 「テメェのねぐらでオネンネしてろや!」  竜は勢いよく射出された。その速度は凄まじく、見送る間もなく夜空の向こう側へと消えた。こうして真夜中の騒動は、呆気なく終わりを迎えたのである。 「アンタ……いったい何者……?」  男が、かすれた声で問いかけようとした。しかしその態度も、物陰から現れた人影に気付くなり様変わりする。半壊した家屋から、お腹を大きくした女が現れたのだ。 「ヨハンナ、無事だったのか!」 「あぁセイン……まさか、また会えるなんて」  少しばかり焦げ臭いものの、家族は無事であった。泣きじゃくりながら抱き合う2人。九死に一生を得た幸運を、涙で濡らしながら分かち合うのだ。  そんな感動の一場面も、例の青年によって遮られてしまう。 「あのさアンタら、ちょっと良いか?」 「は、はい! 何でしょうか!」  セインという村人は飛び上がらん程に驚き、声まで裏返した。相手は竜すらも撃退してしまう強者であり、法外な報酬を求められたとしても対抗しようがないからだ。実際、流れの傭兵団が不当な報酬を請求し、現地人とトラブルを起こすことも珍しくはない。 「危ない所を助けていただき、ありがとうございます。すぐに村の者と話し合い、お礼について……」 「道に迷っちゃってさぁ。こっから王都へはどう行けば良いんだ?」 「はぁ、王都ですか?」  この青年は金品や女、食料すらも要求せず、ただ周囲の道を尋ねるばかりだ。思わず訝しむ所ではあるものの、言外に滲ませる焦りが本心である事を裏付けた。  そしてセインは差し出された羊皮紙を見て、眼を丸くする。そこには大陸の概形が雑に描かれており、中心辺りにざっくりと赤い円。こんな地図とも呼べぬ絵を頼りにさまよっていたのか。そう思えば、警戒心が同情の色味を帯びていく。 「グレートロガナから三日三晩で着くって聞いたのにさ、全然見えて来ねぇの。爺のやつ嘘つきやがって」 「ええと、グレートロガナから出発したんなら、こっちは逆方向ですね」 「マジかよ!?」 「王都はあちらの方。双子山の向こう側で、河をいくつか渡った先に……」 「そうなのか、ありがと。助かったよ!」  青年は白い歯を煌めかせて、すかさず駆け出した。闇夜には疾駆する砂煙が巻き起こる。  そうして去りゆく背中を、セイン達と、逃げそびれた村人達は呆然と見送るばかりだった。
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