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――救えなかった。  また救えなかった。  わたしのせいで、今日またひとつの命が消えてなくなった。 「ああ……」  公園のベンチの上で体育座りをしながら、わたしは喉の奥から絞るように声を出した。両の目から溢れてくる涙は、まだ止まりそうもない。  時刻は午後6時。ゆっくりと沈んでいく太陽が、辺りをセピア色に染めあげていく。  鼻水が垂れてくる。わたしは服の袖でそれをごしごしと擦り、顔を突っ伏して、また泣いた。 「……よお。どうした。元気ないじゃねえか」  どさっという音。見ると、隣には見慣れた顔があった。  ひょろ長の身体に、ひょろ長の顔。もしゃくしゃ髪に、汚らしい無精髭。上司のゴトウさんだった。  ほれ、とゴトウさんが缶コーヒーをわたしに手渡してくる。わたしはそれを少しずつ口に流し入れ、鼻水をすすった。 「……。ありがどうございまず」 「その様子じゃ、救えなかったみてえだな」  その問いに、わたしは返事が出来なかった。ゴトウさんは胸ポケットからタバコを取り出して咥え、火をつける。  煙がゆっくり周囲に溶けていく。タバコのにおいは好きではないけれど、鼻がつまっているので、今は何も感じなかった。 「なあ」 「はい」 「毎回言ってるけどな、あんまり気にするんじゃねえぞ。俺らの仕事は、うまくいかねえ事も多い。 失敗するのが当たり前。そのくらいの気持ちでないとやっていけねえ。それでもめげずに、死ぬ気でやりとげねえといけねえ。つれえけど、でも大事な仕事なんだぞ」  ゴトウさんはそれだけ言って、わたしの頭をくしゃくしゃ撫でた。元気のある時なら「セクハラですよ」と蹴り飛ばしてやるのだけれど、今はそんな気にもなれない。  ゴトウさんの背中をぼんやり見送り、残りのコーヒーを飲み干す。ほのかに口の中に残る苦みを呑み込んで、わたしは空を仰いだ。 ――こうして泣くのも、ゴトウさんの汚い顔を見るのも、明日で最後だ。  数週間前から、机の引き出しの中にしのばせてある辞表。  明日の朝、あれをゴトウさんのデスクに置いて、こんな悲しい職場とは、もうオサラバするのだから。
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