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「妹さん、良くなったか?」  これから大学病院へ行く安中に、所長は訊ねた。その物言いが遠慮がちに聞こえたのは、安中の心がひがんでいるからだろうか。 「まだ意識戻っていません」 「なぜだ?」 「医師にも理由はわからないそうです。今日は、今までの経過の説明をするので来い、と」  わかった、行って来い、と所長は言う。そう言うしかないだろうな、と安中は思う。俺が上司でも、そう言う。本当に病気か、と疑うようなブラック会社じゃなくて、よかった。  安中はもう、半日有給をいくら取っても、仕事がどれだけ遅れようと、会社に悪いとは感じなかった。有給がある限り使わせてもらう。開発が遅れようが、会社に迷惑かけようが、クビを宣告されようが、どうでもいい。  大学病院が建つ丘の上空を、雲が覆っている。一雨来るのか。病院への坂道に溜まった枯葉が、安中の車のタイヤに踏まれて、乾いた音をたてた。もう秋も後半だ。季節の移り変わりなんて、気づきもしなかった。  脳神経外科の診察室で、医師が口を開いた。 「鳴美さんの意識が戻りました」 「本当ですか!」 「本当です。ですが、喋りません」  医師の説明では、今朝から鳴美は目を開けて、看護師の呼びかけに反応はするのだが、言葉は全く発しない。 「壊死のある左脳は言葉中枢だから、その影響かも知れません」 「喋れるようになるんですか?」 「何とも言えません。左半身は動くが、右の手足は麻痺でほぼ動きません。戻ったと言っても、意識レベルは低く、看護師の呼びかけに反応しますが、言葉を理解しているかも分かりません。そして」  医師は、脳の血管の画像をモニタに出した。 「この通り、血栓は、カテーテルで除去しましたが、血管の狭窄はそのままなので、新たな血栓ができて詰まる、再発の恐れがあります。妹さんの血管は、あちこちで動脈硬化が起きていて、どこで梗塞が起きても不思議じゃないんです」  まだ安心できないのか。どうするんだ。 「当面は、様子を見つつ、言葉が回復するのを待って、意識や体のレベルが回復してきたらリハビリを始めます。抗血小板剤を投与して、血液が固まらないようにして、新たな血栓の発生を防ぎます」  抗血小板剤。安中が開発しているのも抗血小板剤で、現在の薬より大幅に効果が上がると期待されていた。 「先生、妹に面会できますか」  妹のいる個室のドアの取っ手をつかんだ時、安中は深呼吸した。ドアをスライドさせる。
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