今日だけは私のもの

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今日だけは私のもの

「やっと着いたぁ。」 車と電車を使って3時間。 噂に聞いてた神社に着く。 一応、近隣県に位置するこの神社に初めて赴いたのは訳がある。 1つ目は、ここは私が大好きな声優さんの出身地だからである。 その上、彼は神社仏閣好きで有名だ。 1度くらいはこの神社にも来たことあるんじゃないか、時は違えど同じ空気が吸えるのではないかという神聖な場所にあるまじき邪な気持ちを携えて来た。 そして... 「ラジオで小説書き始めたこと取り上げてくれたのに、鳴かず飛ばずのまま完結しました...。 ドラマCDの妄想にまで付き合ってもらったのに... こんな私だけどまたラジオでメッセージ読んでくださいっ。 お願いしますっ。」 他人からすればくだらないことかもしれない。 小説は過去のトラウマを振り払うため書き始めたものだった。 過去の傷を思い出し、乏しい想像力を捻り出し、苦しみ抜いて書いたものだった。 それを書き始めたときはもっと軽い気持ちでスラスラ書けるものだと思っていた。 だからこんな特殊なことは大好きな声優さんのラジオで目に留まるのではないかと思いメッセージとして送ってしまった。 メッセージを出して約2週間後、幸か不幸かそれが採用されたのである。 メッセージを読まれた際は舞い上がりに舞い上がった。 直接会話しているら訳じゃないけど、自分の言葉が天の上の人に届いたのだ。 こんなにうれしいことはない。 ただ、私は絶賛スランプ中だった。 人物設定は細かにしたつもりだったのに、爪が甘かった。 話の大枠は考えていたけど、登場人物の心の機微、優良物件が揃っているのに頑なに幸せを掴みにいかない主人公、私のトラウマをどこで登場させてどうリンクさせるか等あげればキリがないが、スランプに陥っていた。 そして、全く伸びない小説投稿サイトのランキング。 いい物を書きたいと思えば思うほど空回りし精神的に追い詰められた。 安易にそれをネタにしてはいけなかった。 書籍化なんて最初は頭になかった。 素人の三文小説だ。 だけど、大好きな声優さんがドラマCDにキャスティングしてくれていいよと言ってくれたのだ。 夢は膨らみに膨らみ、寝る間を惜しんで書いた。 だが、結果は惨憺なものだった。 あんなに意気揚々と小説書き始めましたとメッセージを送ったのに..。 (あの時、小説を書き始めたと送った者です。書き上げましたが、結果は悲惨な物でしたがいい経験になりました...なんて送れるわけないじゃないっ! 恥ずかしすぎる...。) 「小説書き始めましたなんてメッセージは忘れてください。これからは違うメッセージ書きまくるのでそれを採用してくださいっ。」 平日の昼間ということもあり、人がいなくなったタイミングで拝殿に行きブツブツと祈る。 ここまでするなんて自分でも哀れだと思う。 でも、それ程夢見てそれ程悔しかったのだ。 (虚し過ぎっ) 「小説完成、おめでとう。」 「へ?」 後ろから突然声が聞こえる。 私しかいなかった拝殿にそこにいるはずのない人がいた。 「あら?違ったかな?ラジオに小説書き始めたって送ってくれた子だよね? 一生懸命祈ってるの聞こえちゃったんだ。 俺の名前も出てたような気がしたけど、もしかして違ったかな?」 「いや、あの、小説はできたんですけど、めちゃくちゃ下手くそで、その...」 同じ人間かと思うほど小さい顔に優しい笑顔。 そして、鼓膜を震わせる低めの声。 あまりにも現実感がなかった。 「気になってたからちょっと見せてよ。」 これはもう夢なんだ。 そうとしか思えない。 そう思うことにする。 この後、神社近くの喫茶店で彼がセリフを読んでくれた時は顔から火を噴いた。 彼の声は、今日この時間だけは私のものになった。 (おめでとう、私。夢だけど...とにかくおめでとう。)
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