三章

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三章

「隊長、どうするんですか。このまま、やつを野放しにしたら、たいへんなことになりますよ」 「あいつ、ユージイの血を吸っていました。ウワサの化け物じゃないですか?」 「答えてください。ワレス隊長!」  どこへ行くとも告げず、ふらりとアンドソウルは出ていった。そのあと、ユージイの遺体を前に立ちつくすワレスを、ハシェドたちが問いつめてきた。 「わかっている。こうなってはもう、おれ一人の胸にしまっておくことはできない。コーマ伯爵にわけを話して、砦の総がかりで撃退するしかない。おそらく、おれは、このために処罰されるが、そんなことを言っている場合ではない」 「……なんだってこんなことになったんですか?」 「おれも罠にハメられたんだ。ロンドたちに相談したが、解決策は見つからない。アイツ、『今はおまえたちを殺さない』と言った。つまり、おれにとっての人質だ。いつヤツの気が変わるかわからない。おまえたちもしばらく、おれから離れているがいい」 「でも、こんなときに隊長を一人に……」  物言いたげな三人を、ワレスはさえぎった。 「アイツの力を見ただろう? とても人間がどうにかできるものじゃない。ほんとは、おまえたちには、今すぐ砦から出ていってもらいたいくらいだ」  砦じゅうの兵士が総力で挑んでもかなわないのではないだろうか。へたをすれば、ボイクド砦は全滅。今さらながら、自分の招いた災厄の大きさに、ワレスは背筋が冷たくなる。 「だからこそ、早く手を打たなければ手遅れになる。おれは伯爵閣下にお目通り願う。おまえたちは荷物をまとめて部屋を移れ」 「はい。ユージイは……」 「地下へ運んでやれ」  三人を残して、ワレスは退室した。むかうのは本丸最上階。城主コーマ伯爵の居室だ。  むろん、そこは多くの近衛兵に守られ、側近や、身のまわりの世話をする女官、小姓だけが自由に出入りできる。  兵士ならば大隊長以上でなければ、許可なく立ち入ることはできない。  小隊長にすぎないワレスがそこに入るには、伯爵の許可が必要だ。が、今日は大隊長を介してなどと悠長なことを言っていられない。見張りの兵士をふりきってでも伯爵のもとへ行くつもりだった。  ところが、 「ワレス小隊長。閣下があなたをお待ちです」  五階の入口を守る兵隊は、ワレスをすんなり通したばかりか、そう言っておどろかせた。 「閣下がおれを?」 「ええ」  司書長からでも話が通じていたのであろうか。それならそれで、ワレスのもとへ迎えでもよこしそうなものだが。  いぶかしみながら、ワレスは衛兵のあいだを通った。伯爵の部屋には以前、行ったことがある。だいたいの位置をおぼえていたので、広い五階のなかを迷わずにすんだ。 「どうぞ。ワレス隊長」  部屋の前に立つ兵士たちが、ニッと笑う。  ワレスは不快になった。彼らがワレスを見て、舌なめずりしたからだ。  金髪碧眼でとびきり容姿の整ったワレスだ。男ばかりの砦で美貌をチヤホヤされることはままある。が、それにしても、近ごろは勲功のおかげで尊敬のまなざしをあびることのほうが多かったのだが。  ワレスが眉をひそめながら室内に入ると、ここが辺境の砦であることを忘れさせる豪奢な部屋の中央で、伯爵は椅子にすわっていた。ワレスよりいくつも若い、少年のような心を持つ青年貴族。だが、いつになく、伯爵は狡猾(こうかつ)な表情を浮かべていた。 「よくぞ参った。ワレス小隊長」  伯爵の親友で側近のガロー男爵の姿がないことに、ワレスは戸惑った。男爵は書記でもある。おおやけの場には必ず同席しているのだが。 「伯爵閣下にはお変わりなく何よりです。じつは私、たいへんな失態をいたしました。本日は謝罪とともに、ご助力いただきたく乞い願いに参りましたしだいにございます」 「なぜ、私に変わりないと思うのだ? ワレス小隊長よ」  顔をあげ、まじまじと伯爵を見なおす。人が変わったようなその表情。笑みをふくむ唇の端に、狼のごとき牙がのぞいている。  ワレスは立ちあがり、あとずさった。 「伯爵! あなたは——」  背後に、扉を守っていた兵士たちが迫っていた。  ふふふと伯爵が笑う。 「そう。まったく、そなたは困ったことをしてくれた。私の前にとつぜん彼が立ったときには死ぬかと思ったぞ。もっとも彼に血を吸われて、人としての私は死んだのだが」  ひとあし遅かったのだ。  魔神は先手をとって、まず城の頂点であるコーマ伯爵を、彼のしもべに作りかえてしまったのだ。
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