後編

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 男は湿った夜の中を駆けた。  敷地の図面は頭から吹き飛び、空白を埋めるのは美少女ゾンビの姿。紙袋に収めた時に抱いた、冷たい肌の感触がよみがえる。  ──彼女は完璧だ。あと少し、あと少しで俺のものになったのに!  緊迫と怒りが細い顔をどす黒くした時、後ろからエンジンの駆動音が響いた。ヘッドライトがまばゆくはじけ、道の上に男の影を描き出す。 「ちくしょう、あいつめ!」  無我夢中で光を避け安心したのもつかの間、何かに激しくつまづいた。  つんのめって下を見ると、それは倒れたままのゾンビの足だった。城の前に戻ってきたのだ。  男はひらめいた。  こいつらをまとめて()くわけにもいくまい、トラックがもたついてる間に芝生を抜け、城に隠れよう。どうにかしてあの子を取り戻すんだ。 「そうだ、こんな場所で終わってたまるか!」  彼はすばやく進み出す。  しかし、音もなく伸びた死者の手がそれをとめた。 「うわっ!?」  男は足首を取られ芝生に倒れる。  彼をつかまえたゾンビが起きあがり、すかさず押さえ込んだ。  ハンディライトが点き、二つの顔が浮かびあがる。 「ぐっ、貴様……」  憎々しげにゆがんだ犯人の顔と、静かな怒りをたたえた管理人の顔。  芝まみれのジャックは相手をにらみつけた。 「こんな場所とはご挨拶だな。お前のような人間、俺たちの方から願い下げだ」  首筋を押さえられた男は、ようやく気づく。  管理人の手はとても冷たかった。  あの少女と同じくらいに。 「あ、ああ。お前……!?」  犯人が目を見開くと、管理人は青ざめた顔で笑った。  空から応援部隊のヘリの音が響き、長い悲鳴をかき消した。  プリンセスの危機は、誘拐ではなく窃盗未遂として処理された。 「ゾンビは人間ではないからな。犯人もたいした罪にはならないだろう」  わずかな哀れみを見せた本部職員に、ジャックは無言で首をふった。  すべての処理を終え管理室に戻ると、すでに深夜をまわっていた。通信機を箱に戻し、頼もしい同僚のとなりに腰をおろす。 「ありがとうアリス、いいオペレーションだった」  モニターを見ながらトラックを誘導し続けた彼女は、子どもっぽく微笑んだ。 「なかなか楽しかったですよ、さすが作業員は運転が上手いですね。あなたこそ本当にお疲れさまでした」 と、ジャックの顔色をうかがう。  彼はいつだって青白いが、生前にスクールカウンセラーをしていたアリスは、微妙な変化を読みとるのがうまかった。 「何だかだるそうですね。パラディゾールの影響を受けたでしょう、少し死にますか?」 「さて、そうだな……」  彼はイスの背に寄りかかり、陰気な天井を眺める。  使命をはたした結果の心地よい疲労が全身にあった。 「お言葉に甘えよう。十五分で復活する」 「あら、ごゆっくりどうぞ。あんなにがんばったんですもの」  アリスは心をこめて彼をうながした。  ジャックは管理室の隅へいき、十字が記された重いフタを開ける。つつましくせまい寝床を見るとため息が出た。  彼は思う。  ランドオブデッドへの不満は、たったひとつ。  危険な溶剤について教えてもらえないことも、身を守るための警棒すら持たせてもらえないことも、逃走を懸念してバイクや車を与えてもらえないことも我慢する。  だが、いくら俺やアリスが “タイプC” ──自我と理性を保ち攻撃性を欠くゾンビだからといって、仮眠ベッドがわりに棺桶を置くのはやめてもらいたい。   (END)
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