前編

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前編

 とある夕方、死者の国から音が消えた。  その静寂は管理室のアリスを青い顔でふり向かせた。 「ジャック、問題発生です」  天候データをチェックしていたジャックは、彼女のデスクにイスを寄せる。 「どこだ?」 「第3エリア。誰も復活していません」  白い指がモニターをさす。固定カメラの映像だ。暮れゆく芝生に人間のようなものが点々と倒れている。  生ける死者、ゾンビである。  ジャックは訝しげに目をせばめた。  ゾンビにとって死は休息。太陽が昇るとばったり倒れ、日没にあわせて生き返るのが常だが、今日はなぜ死にっぱなしなのか。 「現場確認の必要あり。俺が出よう」  彼は通信機を装着しながら立ちあがる。  ハンディライトを差し出したアリスが、不安げに首をふった。 「危険があるかもしれません。上の人たちったら、もっとましな装備をくれたらいいのに……」  人間味のある仕草を見て、ジャックはホッとする。感謝を込めて笑顔を返した。 「心配いらない。オペレーションを頼む」  彼は重厚な木の扉を開け廊下に出る。  事務所として使っている建物は前時代の石づくりで、明かりを入れても薄暗く、足音は陰気に反響する。  視察に訪れた人間はみな感心した。 「これは雰囲気たっぷりだ。さすがはゾンビ保護区、ランドオブデッドですね」  数年前、この国はゾンビパニックに揺れた。  噛みつかれた人間は絶命し、たちまち歩く死者となる。  被害の拡大を抑えるため、軍はゾンビを片っぱしから灰にした。  仕上げの集中爆撃で一件落着、と息をついた矢先。主戦場から離れた場所で、別種のゾンビが大量に発見された。  夜間うろうろさまようだけで、攻撃性はまったくのゼロ。  ひとつ噛んでみろ、と差し出した腕に引っかかり、ドサリと道に倒れる始末。  そんな彼らをどうしよう?  もとは同じ人間だ、土に還るまで見守ろうじゃないか。  ただし町から充分離れた、絶対に出られない強固な檻の中で。  恩情と本音をシェイクした末にランドオブデッドが生まれ、ジャックは設立当初から管理人をつとめていた。  彼は錆びた自転車をきしませて薄闇の道を急ぐ。  敷地内には古い城と複数の建物があり、はるか昔に打ち捨てられた墓地が間をつないでいる。  国家行政は、死者のために(いわくつきの)広い土地を(格安で)買い上げてくれたのだ。  ゾンビの復活が絶えてしまえば、ここも不要になる──  そんなことを考えていると、風雨にさらされた墓石の列からぼんやりした人影がさまよい出た。  ジャックは小さく声をかける。 「おはようホワイトカラー、お前は異常なしだな?」  かつて一級品だったであろうほころびたスーツを着た中年男は、ぽかんと口を開けて彼を見た。  ゾンビ “タイプB” は攻撃性がないかわりに自我もなく、言葉は通じない。だがそれはジャックが口を閉じる理由にはならなかった。  彼は警告に少しの優しさを込める。 「第3エリアには近づくなよ。死に続ける羽目になるかもしれない」  空虚な沈黙を返事にもらいペダルを踏む。幾人かのゾンビとすれ違った先に、重々しくそびえる古城のシルエットが見えてきた。
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