一 中尾太平

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 長い会議が終わるころには九時半を過ぎていた。最後に会議室を出た須賀が、チェーンのついた眼鏡を服で拭きながら、すぐ前を歩く遠野につぶやく。 「長く教師をやっていますと、担当している生徒が亡くなることはあります」  と、眼鏡をかけ直す。その奥のしわに覆われた落ち窪んだ目には、紗栄子への深い同情があった。 「しかし、梨本先生のような若い方があのような目に遭うとは……」 「僕もできるかぎりサポートします。教員のケアも仕事ですから」  遠野は声に力を込めたつもりだったが、さすがはベテラン教師というべきか、遠野が弱りかけていることも見抜いているようだった。 「私も彼女に力添えをします。遠野先生も気を張りすぎないように」  須賀の言葉に、遠野は「ありがとうございます」と返すことしかできなかった。  今回は須賀の一声で救われたようなものの、中尾の死によって、紗栄子と自分への風当たりが強くなったことは確かだったからだ。    残った仕事のうち、学校でしかできないことを片付けて家に帰ると、リビングの明かりがまだついていた。いつも十一時を過ぎるころには自室にいるはずなのに、めずらしい。  リビングのソファには依織が寝転んで、スマホをしきりにいじっていた。ゲームをしているらしく、明るいBGMが聞こえる。 「その様子だと、少しは元気になったみたいだな」  荷物を置きながらきくと、依織はスマホの画面を高速でタップしながら答える。 「帰ってからしばらく気持ち悪かったけど、寝たら回復したよ。簡単だけど、夕飯作っておいた。食べてきちゃった?」 「いや、助かる」  冷蔵庫を開けると、野菜炒めとパックに半分残されたコーンスープがあった。牛乳が切れている。そういえば、最近買い物もあまりしていなかった。  夕飯を温めている間、薄いノートパソコンを開けてキーボードを叩く。担任向けに、生徒への接し方についてのアドバイスをまとめてほしいと頼まれたのだが、この慌ただしい中、まともに読んでくれる教員がどれだけいるのだろうか。 「仕事熱心だね」 「やらざるを得ないって感じだな。依織はそろそろ寝ないのか?」 「昼間寝たから、全然眠くない」  そう言ってソファに寝転んでいるが、どこか落ち着きなく、ちらちらと目線を向けてくる。中尾の件を引きずっていないか気になるのだろう。 「俺は大丈夫だからな。お前なら読み取れるだろ」 「うん、今は安定してる感じがする。でも疲れてるよね」  ノートパソコンを脇にどけ、食事をテーブルに置く。食欲はどうにか残っているようだ。 「お前こそ、今日は間が悪かったな」 「そうだね。次学校行ってみて、みんなの様子が落ち着いてなかったら、また休んじゃうかも」
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