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はじめに
「ごめんなさい」
これが私の幼少期の頃の口癖でした。
母親は常に情緒不安定で怒鳴り怒られる。
時には暴走した母親に殴られる。
父親は母親の尻に敷かれそんな家には帰りたくないと仕事を理由に逃げ母親の暴走を止めることもせずに子どもから目を背ける。
二世帯住宅であった為、祖父母がサポートに回ってくれて幸い完全なる育児放棄にはならなかったけれど兄と妹を含め私たち子どもは親からの愛情が必要な時期に愛情を与えられずそれを知らずに育ちました。
私の生い立ちを知ると「それって毒親だよね」と皆が口を揃えて言います。
子どもにとっての『普通』の基準が出来上がっていく過程で大きなポイントとなるのはいつだって親や家族だと思っています。
だからこそ思い描いた子どもの時代にこうだったらよかったのに、と繰り返し何度も切望してしまいます。
「おはよう」
「おやすみ」
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「大好き」
そんな風に自分の思っている言葉を『特に親を筆頭に』素直に言える子どもでに育っていたら今の自分と違う自分でいられたのかもしれません。
子どもにとっての普通は親が育んでいくもの。
ある程度共通した点はあっても育ってきた過程や環境が違うのでその普通がどんなものか人それぞれです。
現在は毒親という言葉が浸透して私のような家庭環境は決して珍しくはないでしょう。
ですが私のまわりには同じ経験をして育った同級生や友人がいなかった為、みんなの話を聞くと羨ましくなりそれは次第にコンプレックスになりました。
同級生や友人と同じように両親に対して素直に「大好き」と甘えたかった。
家庭環境を誤魔化したり両親がどんな人物であるか嘘をつくのが辛く悲しかった。
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