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 東京都、新宿区。  煉瓦(れんが)造りの中層ビルの三階にある調査会社で、鈴木麗良(れいら)は事務員をしていた。企業の信用調査などを行うこの会社は、社員も五人しかいないような零細(れいさい)企業だ。若い社長は、明らかに経営能力に問題があるのだが、自身の能力を過信してやまない。持ち合わせていないのか何なのか、経営方針も示さないので、社員の職務意欲は常に低空飛行だ。その現実から目を背けるように、年に数回しか顔を出さないという男が社長の、会社だった。  麗良の仕事は社員の経費精算や、文句の電話だけはかかってくる社長のアポ取りだ。他には社長の奥さんから突然かかってくる、社員への愚痴電話。どれも、なんの成長の見込めない作業だった。  そんな仕事に飽き飽きしていたある日、新しく人を雇ったと社長から唐突に言われた。大した利益も上げていない会社に、人を雇う余裕などないはずだが、当社の代表は、個人的に懇意にしている相手には、いい顔をするという習性を持っていた。これも、その一つだろう。  新人のお世話は、いつも麗良に押しつけられる。もう一人の女性社員である佐伯(さえき)来栖(くりす)は、その美貌を最大限生かして、楽な仕事にありついていた。しかし、麗良の方は完全に名前負けで、容姿は至って普通。ただ、物事の観察眼には長けているという自負がある。  新入社員を迎えるその日、麗良は自席で黙々とパソコンのキーを打っていた。デスクは十席ほど。五席は埋まっており、他は空いている。昔は、もっと社員がいたらしい。床には何年も変えていないと思われる、染だらけカーペットが敷かれており、窓の半分には常にブラインドが下ろされていた。  午前十時、新人が職場に現れる。カーディガンにスカートといった格好の麗良は席を立ち、オフィスの入口から現れた、ブラックスーツの男を出迎えた。  長身の男は、きっちりと撫でつけた黒髪に目鼻立ちの整った顔。深いブラウンの瞳を持っていた。その体つきは、適度な筋肉がついていて、まるでボクサーのようだ。萎縮した様子がなく、泰然とした男は、どこか日本人離れしている。彼は印象を気にしてか、にっと笑った。 「夜来(やらい)アルバと申します。今日からこちらでお世話になります」  不意に魅入っていた麗良は、はっとして「鈴木麗良です」と浅くお辞儀をした。顔を上げると、アルバと目が合う。その目つきは、まるで値踏みしているようだった。 「失礼ですけど、日本の方じゃないんですか?」 「ええ。一応、社長さんとの面接の時に、話はしました」 「そうだったんですか。知りませんでした。日本語は分かりますか?」 「問題ありません」  挑戦的な笑みを浮かるアルバは、じろじろと麗良を観察する。容姿に自身のない麗良は、その視線に居心地の悪さを感じて、身を反転させた。こちらですと奥へ案内する。  四人の社員は、新入社員を認めると、席を立って各々挨拶をした。案の定、アルバの目が来栖に向く。彼女は自信ありげな笑みを浮かべ、アルバを見返していた。  アルバを、自分の向かいの席に案内し、直属の上司となる滝本を紹介する。アルバには調査資料の作成を手伝ってもらうそうだ。その後、施設の案内をする。  一通り説明を終えると、アルバは席についた。四人の社員は視線こそアルバに向けてはいないが、注意が向いていることは明らかだった。  アルバは滝本の指示を真面目に聞いて、作業にとりかかった。調査資料作成の経験があるのか分からないが、パソコンキーを打つ動作に淀みがない。お昼は、滝本と外に出て済ませたようだ。
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