悪い男

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悪い男

父は若い頃、漁船の乗組員だった。 酒の弱い父は、少しお酒が入ると昔のアルバムを出してよく自慢したものだ。 「これはハワイだったかな」と言いながら、船をバックにポーズを決めている若い父がそこにいた。   乗組員はなかなか陸に戻って来られない。 それを理由に、結婚を機に船を降り、造船所で働くことになる。 小さな工場ではあったが、なかなか腕の良いエンジニアだったらしい。 日曜休み、水・土は定時で17:30には帰宅する。 それ以外は残業で19:30に帰宅。 母親は私が2歳の頃から早朝の新聞配達をしていたため、就寝時間は大体21:00頃だった。   そのためか、我が家の夕食はいつも17:30と他の家庭より早い時間だったので、家族揃っての夕食は日曜日と水曜、土曜の3日間。 父が残業の日は、私たちは父の帰りを待たず4人での食事だ。 姉たちが部活やアルバイトで遅い日は、母と私の二人きりで夕食を食べなければならない。   食事中も、母は否定的な言葉しか発さなかった。 食が細かった私はいつも「ご飯粒を数えながら食べるんじゃないよ」「早く食べなさい」「これも食べなさい」「よく噛んで!」 そんなことばかりだ。 本当に我が家は絵に描いたような「楽しくない家庭」だった。 こんな家庭で、明るく活発な人間に育つのは不可能だ。 私は母に「根暗」と言われても、無理して笑って過ごす心の余裕などない。 機嫌の良い時だけ「お前は頭が良くて、お爺ちゃんに似たのかもね」と母は笑顔で言った。 学校も家も大嫌いだったけれど、この頃はもう諦めの極地にいたらしく、然程辛くはなかった様な気がするのは気のせいだろうか。 しかし、この頃から少しずつ成績が落ち始め、母は焦っていた様に思う。 成績が落ち始めたことで何度か説教をされた記憶はあるが、その時の自分がどうだったのか、どう感じて何を思っていたのか全く覚えていない。 父の悪事や性癖について私に話すレパートリーが増えてきた母は、これでもか、というくらい不必要な情報を提供してくれていた。   父は度々「今月は不景気で給料が出なかった」と嘘をつき、生活費に困った母は同じ市に住む義姉に頭を下げてお金を借りに行っていたそうだ。 毎日仕事に行っているのに、不景気で給料が丸々出ないなど、信じる方がおかしいと思うが、父は短気だったため逆らうことは出来ずにいたらしい。 のちに、箪笥の引き出しに空の給料袋が入っているのを見つけ、父に問いただすと「博打で負けた」と開き直っていたと。 給料も入れない旦那と、何故別れようと思わなかったのか。 「離婚なんてしたら子供が可哀想だから」 母はそう言った。
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