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1ー25 大公領へ
魔術師達は守護山で結界が消えていく様を固唾を飲んで見つめていた。広場に集められた魔術師達は各地へ遠征している者達を除いて約百人。その頂点にいるオルフェンは今、じっと空を睨みつけていた。
一枚ずつ結界の色が薄くなっていく度に、若い魔術師達からは悲鳴が上がる。オルフェンは空から目を離すとフードを外した。漆黒の髪と瞳が、集まった魔術師達を見渡す。
「見ての通り結界は間もなく破られる。そうなれば小国のアメジスト王国はあっという間に他国の侵略を受けるだろう」
「もう一度結界を張れないのですか?」
「なぜこうなるまで放って置いたのですか!」
あちこちで声が上がり出す。オルフェンの周りに結界魔術師のハンナとルーが近付いてきた。二人は火と水の魔術師達の長でもある。三人の魔術師長が揃った事で非難も混ざっていた声は次第に小さくなっていったが消えた訳ではない。
「結界も永遠じゃない。魔力が永遠でないように」
ハンナの低い声が通ると魔術師達は何も言えなかった。
魔力は永遠ではない。魔力が枯渇して戦場で力尽きる者や、もう魔術師としていられず去っていく仲間達を誰もが見てきた。結界も魔力で出来ている。膨大な魔力を保有するはずの結界魔術師達の魔力でさえ、枯渇し始めている。それほどに結界を張るという事は魔力を消費するのだと今初めて知った。一番納得のいく理由であり、一番目を逸していた理由でもあった。
「国境の守りは魔術師で固める事とする。国内は非魔術師達に任せ、全員前線へ出ろ!」
戸惑いを隠せないまだ若い魔術師達は各々の身の振り方を辺りを見ながら動き始めていく。エーリカは人波の中を少しずつオルフェン達に近付いていった。
「ハンナは南下、ルーは西に行け。北には俺が行く」
北、と聞いてシンと辺りが静まり返る。ヴィルヘルミナ帝国のある北西部。おそらくヴィルヘルミナ帝国は砂漠の多い西側は避け、北から侵略してくるとの読みなのだろう。オルフェンが北に行くと言えば土の魔術を使う者達は皆行く事になる。それでも土の魔術師達は前に出た。
「オルフェン様に付いていきます。我々も魔力尽きるまで戦います!」
「いや、北には俺一人で行く」
「そんなの無理です! いくらオルフェン様と言えど、お一人ではヴィルヘルミナ帝国を抑える事は出来ません! それにもし抑えられなければ敵の侵攻を許してしまいます!」
土の魔術師達は長の元に駆け寄った。
「策が無い訳じゃないから案ずるな」
オルフェンは不敵な笑みを浮かべた。その時、閃光が走り最後の結界が消え去った。
先陣をきったのはハンナだった。素早く部下達を二組に分けていくと颯爽と歩き出した。その背を追い抜くようにルーが走り出す。
「俺に付いてくる奴は誰でもいい、オルフェン殿の言う通り半分付いてこい!」
ルーは掌から火柱を空に向かって放った。
「全く、派手な奴だ」
振り分けられた者、振り分けられていない者も、魔術師達は二つに分かれて付いていく。エーリカはオルフェンの元に走っていった。
「師匠、師匠!」
鬱陶しそうに向けられた視線に、マントの胸ぐらを思い切り掴んだ。
「行かせませんよ!」
「大丈夫だ、ちゃんとその前に核は取ってやるから」
「馬鹿言わないで下さい! これから戦争が起こるかもしれない時に魔力を失えません!」
「勝手な奴だな」
「勝手なのは師匠です! 一人で行くってなんですか。格好つけないで下さいよ!」
「あのなぁ、早く行かないといけないんだよ。手を離せ」
エーリカは掴む手に力を込めた。
「……私も行きます」
「はぁ? お前はそこまで馬鹿だったのか? 戦争の最前線だぞ」
「だから行くんでしょう! 私はまだ結界魔術師です! 魔術師としてしか生きてきていないんです! 本当は私の魔力じゃないって言われても、まだ返せません!」
「お前がいらないって言ったんだろうが」
オルフェンを睨み付けると、呆れた様な視線が返ってきた。
「オルフェン! オルフェンはどこだ!」
「陛下、ここだ」
出ていく魔術師達とすれ違いながらが、国王は息も切れ切れに走ってきた。
「大公領から知らせがきた。ヴィルヘルミナ帝国が攻めてきたらしい。今から兵を向かわせても間に合わないぞ! 兄上には悪いが前線を下げて防衛戦を張る」
「それがいいだろうな。魔術師達は今国境付近に送った。大公領には俺が行く。あそこには直接転送装置が繋がっているからな」
「オルフェンが王都からいなくなるか。仕方あるまい、十分に気を付けろ」
「私も行きます」
「ならん! エーリカは城に残れ。もうこれでヴィルヘルミナ帝国に嫁ぐ事もなくなったのだ」
「私のせいです。私が断ったからです! 早く決断していればこんな事には……」
「それにしては軍の到着が早過ぎる。おそらくすでに進軍の準備していたのだろう。そなたのせいではない」
国王の優しい言葉に涙が出てくる。しかしオルフェンの服の裾を掴んだ。
「なおさら行ってきます。私は魔術師ですから」
「……勝手にしろ」
オルフェンに続いて転送装置に乗る。行き先への印はオルフェンが描いた。いつもとは違う光が立ち上り、いつもとは違う衝撃が走った。
「エーリカ! 陛下! 今のはエーリカですか?」
クラウスは全力で走ったが間に合わなかった。
「俺も後を追います、エーリカはどこに向かったのです?」
「大公領だ。ヴィルヘルミナ帝国が攻めてきたのだ。結界が消えてすぐに侵攻とは、あまりにも出来過ぎているな」
「あそこは最前線です! 今すぐ連れ戻さなくては」
国王はクラウスの腕を握り締めた。
「オルフェンと向かったから大丈夫だ」
「たった二人では無理です! 俺もすぐに行きます」
「ならん! 大事な事を忘れているようだが、エーリカは結界魔術師なのだぞ。兵士百人分もの力がある。それに大公領には兄上がおられる。あそこにも魔術師が常駐しているのだから二人ではない!」
「しかし危険過ぎます。許容出来ません」
「お前の許しは必要ない!」
「俺の妻となる人です!」
国王はひたと見つめてきた後、首を振った。
「行かせないぞ。お前が死ねば誰がわしの後を継ぐのだ」
「ジークフリートがいるではないですか」
国王はクラウスの胸ぐらを強く掴んだ後、強くその瞳を覗き込んだ。
「継ぐのはお前だ。お前しかおらん」
「どうしてです? ジークフリートも努力しています!」
「……努力の問題ではない。わしの血は継いでおらん。だから駄目なのだ」
「まさか、そんな」
「あれは子供が出来ない事に焦っていた。気持ちは分からぬでもない。あれなりに思い詰めての事だったはず。だからわしはジークフリートを我が子として受け入れた。だが王座は駄目だ。分かるな、お前は行かせられない」
「ゴホッ、酷い、煙?」
到着した部屋は煙が充満していた。視界はすぐ先が見えない。口を抑えながら手を前に出した。その瞬間、煙の中で煌めくものが見えた。後ろに引かれてそのまま床に倒れる。その目前では切っ先が床に傷を付けたところだった。
兵士は剣を更に構えたが、すぐに下ろした。
「オルフェン様! どうしてここに」
「お前な、危ないだろ! 早く状況を説明しろ」
オルフェンの様子からするに顔見知りの様ですぐさま手を伸ばして立たせてくれる。兜から覗く茶色の巻毛は顔に張り付き、頬は煤けていた。目が合うと、人懐っこそうな丸い瞳が驚いた様に揺れた気がした。
「まさかエーリカ様でしょうか? エーリカ・ルートアメジスト様?」
「はい、初めまして。よね?」
「お噂通りにお美しいのですね! まさか結界魔術師様がお二人も来てくださるとは思いもしませんでした!」
「マルコ、早く報告をしろ!」
マルコと名乗ってくれた兵士は移動しながら状況の説明をしてくれた。ヴィルヘルミナ帝国は結界が消えたと同時に進行してきたらしく、結界が消える前からすでに見張り塔からは黒い軍勢が確認出来ていたとの事だった。マルコに案内されている間にも遠くから戦いの音が響いている。いつどこから敵が現れてもおかしくないように思えた。
「今はなんとか壁の内側への侵入は食い止めています。この間になんとか民の避難を終わらせようと今皆動いています。魔術師達が壁に立ちヴィルヘルミナの勢いを削いで、逃れて壁を登ってくる者達と我々兵士が交戦している状況です」
移動装置のある部屋は外付けの回廊と繋がっており、そこから城内へと入っていく。回廊の窓から外を見た時、あちこちから煙が上がっていた。
「街に火をつけられたの?!」
「違いますよ、煙を焚いて奴らの視界を奪っているんです。でも先程風向きが変わり、城内に煙が入り込んだのです」
移動している間にも激しい戦闘の音が聞こえてくる。雄叫びや魔術の攻撃の音が幾つも上がり、その音を聞く度に胃が締め上げられる。マルコは階段を上がると、奥の部屋の扉を押し開けた。
「大公様、結界魔術師様方がいらっしゃいました!」
エーリカは中にいた内の一人に目が釘付けになった。クラウスと同じ髪色に、驚いたように見開いたのは同じ空色の瞳。違うのはクラウスよりも低い背と、クラウスよりも厚い身体、そしてクラウスにはない口周りに生えた白髪混じりの髭だった。
「オルフェンが来たのか。ルー辺りかと思っていたぞ」
雰囲気が似ていても朗らかに笑う顔はやはり別人なのだと思い知らされてしまう。その空色の瞳がこちらに向いた。
「初めまして。エーリカ・ルートアメジストと申します」
「クラウスの婚約者だな」
戸惑いながら頷いた。
「挨拶はなしだ。戦況は?」
「ベリエ隊長! 結界魔術師が二名も来てくれたぞ。説明を頼む」
小柄だが全身抜き身の刀身の様な鋭さを湛えた男が敬礼して前に来た。
「こちらの魔術師は六名でしたが、すでに二名が殺られ、現在四名で食い止めております。おそらく次に魔術師が手薄になった場所から破られるでしょう。いつ交戦に入ってもいいように兵達は配備済みです」
「俺が行くから兵は下がらせろ。魔術師達は俺が魔術を発動したら全員逃がせ」
「オルフェン一人でか? 何をする気だ」
「奥の手だよ」
「駄目よ、絶対に駄目」
なぜだか分からないがそれをさせてはいけない気がした。掴む手にやんわり手が重なる。
「悪かったな。これからは自由だ。行く前に核は必ず取ってやるから心配するな」
「私が最初からヴィルヘルミナからの申し出を受けていたらこんな事にはならなかったのに」
「申し出とは何の事だ?」
クラウスの実父に言うのは少し気が引けたが隠す事は出来なかった。
「ヴィルヘルミナ帝国から結婚の申し出がありました。皇太子殿下の正妃にとのお話でしたが、お断り致しました」
「それはいつの話だ?」
「五日ほど前です」
オルフェンは大公を睨みつけた。
「お前知らないのか? 使者がこの地を出入りしたはずだぞ」
「全く存じ上げない。ヴィルヘルミナ帝国の使者は来ていないし、もちろん帰ってもいないぞ」
オルフェンは盛大に舌打ちをさた。
「やられた! 王城が襲われる!」
オルフェンはエーリカの腕を引きながら転送装置のある部屋はまで走った。
「魔術師達が全て出払って今の王城はがら空きだ! すぐに陛下が殺されるぞ、クラウスも!」
「待って師匠! どういう事なの?」
「使者達は帰っていない。大公の目から逃れ潜り込んだとしたなら、使者達はそれほどまでに魔力のある魔術師だ。でも俺は戻れない。ここが落ちれば武力で侵略されてしまうからな。ルーもハンナもすぐには無理だ。今すぐに戻れるのはお前だけ」
オルフェンは今にも泣きそうな顔をしていた。
「すまない、お前を今度こそ自由にしてやりたかったのに」
「私にしか守れないならやります。私は結界魔術師ですから」
オルフェンはエーリカを円の中に立たせた。腕を掴む力が強くなる。見つめてくる瞳は揺れていた。
「お前に与えた魔力の持ち主は、この世で最強の魔術師だった者の核だ。お前になら出来る。陛下を守れ、命がけで」
頷くとオルフェンは素早く魔術を発動させると、エーリカの視界は一気に光に包まれた。
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