理想の妻像とは

8/19
6631人が本棚に入れています
本棚に追加
/97ページ
 高輪さんの近く、部屋の前まで来てカードキーを急いで出した。一瞬だけ迷ったけれど、すぐにロックを解除する。いくら覚悟が出来ていないとはいえ、今の今まで忙しく仕事をしていた人を部屋に()れないという選択肢はなかった。彼の様子はいつも通りスマートで背筋もしゃんとしていたけれど、疲労感というのはそこはかとなく滲み出るものだ。 「どうぞ、入ってください。お食事はされたんですか?」 「いいの? 入って」  彼は、正しく私の迷いを感じ取っている。  だけど私の覚悟云々よりも、疲れているのにわざわざ顔を見に来てくれた彼の方が優先だった。 「……嫌がることはしないと言ってくれたので、信じてます」  そう言うと、彼の表情が緩んで崩れる。苦笑気味の微笑みだったけれど、少しだけ嬉しそうに見えた。 「そう言われると、裏切れないな」 「信じてますとってもとっても」  一応、念押ししておくことも忘れない。  部屋に入ってソファを勧めると、彼が腰を下ろしてすぐに無意識だろう深いため息が聞こえた。 「大丈夫ですか?」  思わずそう聞いてしまうくらいに疲れたため息だったのだ。 「いや、ごめん。つい」 「構わないですけど、お食事は?」  もしも何も食べてないならルームサービスをと思ったけれど、彼は「いらない」と首を振ったのでとりあえずコーヒーを淹れることにする。 「忙しいと、食欲が湧かない」 「体壊しますよ?」  カプセルタイプのコーヒーマシンから、すぐに良い香りが広がってカップに注がれる。ふたつ作ってひとつはミルク入りに、ブラックの方をソファに座る彼に手渡した。そして私は、隣ではなく向かいのソファに座る。  しょんぼりと眉を八の字にした、その表情は少しだけ可愛い。  
/97ページ

最初のコメントを投稿しよう!