65 ハリネズミのマフラー

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 デート、って言っていたけれど、夜だと思ってたんだ。 「うわー、すげぇ」  寒空の動物園デートとは、思わなくて。 「ねぇ! 悠壱! どっち行く?」  少し意外だった。実紘がこういうところに来たいって思うとは。 「アフリカの動物とかがいる方と、ゴリラとトラがいる方」  もっと、夜のバーとか、都心のお洒落なレストランとか、かと思ったんだ。 「ここ、出口が向こう、アフリカゾーンにもあるから。だからゴリラとトラの方に行ってからそっちに行くとそのまま戻らずに出られる、と思う」 「へぇ、詳しいね」 「あぁ、ここ、来たことあるから」  派手で煌びやかなところを選ぶかと。  いや、でもどうかな。話をすればするほど、一緒にいればいるほど、動物園をデートの行き先に選ぶ方が実紘らしいと思える。お洒落なレストランよりも、どこにでもありそうなラーメン屋を夕食に選ぶから。 「それ、デート?」  先を楽しそうに歩いていた実紘が急に足を止めて振り返った。と、俺はそんな実紘の背後を歩いていて、急に止まれなくて、ぶつかってしまいそうになった。 「びっくりした。急に止まるから」 「……」 「違う。家族で」 「……なんだ。デートじゃないなんだ」 「? あぁ」  そこで、クスッと笑って、実紘が足元の小石を蹴った。 「俺もさ、家族で来たことがある」  その小石がコロンと小さな音を立てた。 「動物園って安いじゃん? だからよく来てた。ここじゃないけどね」  いつも、会話の所々に散りばめられた、実紘の自分をおとしめる言葉を思い出す。  長い、長い時間をかけて積み重なって実紘の中に残ってしまった「思い出」がそれを言わせるんだ。 「俺さぁ、動物の飼育員とかなってみたかった」 「へぇ」 「意外?」 「まぁ」 「馬鹿だからなんも得意なことなかったんだけどさぁ。動物園に遠足で行った時に隣にいた子が動物園って臭いって言ったんだよね。俺、鼻めちゃくちゃバカになってたから、全然気になんなくてさぁ」  二月の動物園は少し寒くて、革ジャンから伸びる実紘の長い首が寒そうだった。顔が小さいのもあるんだろうけれど、スタイルがいいとこういうときに少し不便だな。見てると寒そうなんだ。背筋を伸ばして歩く実紘の髪が冷たい北風に揺れるのさえ、寒そうで。 「だから、その子が臭いって文句垂れてんのを聞いて、俺、臭いって思わないからここでお仕事できる! とか、マジで思ったの。アホでしょ。ウケるよね」 「待ってて」 「え? ちょ、悠壱? なぁ、そっち」 「ちょっと先に行きたいところがある」  タバコが嫌いな理由。  何度も何度も言い張っていた「自分なんて」とおとしめていた理由。  何度否定しても、それでも頑なに自分のことを苦笑いで卑下していた理由。 「悠壱」 「こっち!」 「ちょっ」  本当は右に進んで、そのままぐるりと園内を歩いて、そこから橋を渡って隣のエリアに行く。するとアフリカゾーンがあるから、そこを観て園の出口の方へ進むんだ。でも先にアフリカゾーンのある隣のエリアへ続く橋を渡った。橋を渡ったら、あるから。 「え? なんで? 悠壱」 「ここに入る」 「は?」 「待ってて」  平日の、しかも今日はかなり寒いらしい。店にはほとんど人がいなかった。  あると思ったんだけどな。もっとちゃんとしたのが。ほらゼブラ柄とかさ、豹柄なら、実紘の顔立ちにも合いそうだし。 「これしかなかったけど、いいだろ」  あったのは可愛い動物の刺繍がされているニットマフラー。クリーム色で先端にボンボンがついていて、刺繍はハリネズミ。あぁ、だからボンボンに黒とグレーが混ざってるのか。ハリネズミのハリを模してるのかもしれない。子ども用かもだけれど。でもないよりはマシだから。 「寒いだろ」 「……」 「モデル、なんだから。風邪なんて引かせられない」  寒そうな首にそれを巻きつけた。まぁ……少し子どもっぽくて似合ってないけれど園内でならそれでもいいだろ。 「悠壱」 「それに、それもいいと思うよ」 「?」 「動物の飼育員。きっと有名な飼育員になってる」  イケメン飼育員って言って、SNSで騒がれてるだろ。それで女性ファンとかできて、人気で、動物園も人が集まって……うん、あり得る気がする。動物と戯れるところとか激写されたりしてさ。 「悠壱」 「?」 「……ありがと、すげぇ、あったかい」  そのボンボンを大きな手でそっと包むように握って、クシャッと笑った。 「けどさ、これつけてたら写真撮れる? なんかキャラ合わないとかで不採用だったりしない」 「あ!」 「?」 「カメラ忘れた」 「……マジで? だから荷物ないんだ。なんか小さいのを持ってきてんのかと思った。ぷはっ、マジか」 「……」 「カメラマンのくせに」 「だって」  デート、っていうことで頭がいっぱいだったんだ。 「まぁ、いいけどね。そんじゃあ、行こうぜ。つか、戻るのか」  店を出ると待っていたぞと言わんばかりにきつい北風が吹き付けてきた。実紘の髪がなびくくらいの強い北風だったけれど、実紘は構うことなくその中を歩いていく。  戻りながら、その遠足の話の続きを話してくれた。飼育員になりたいと、遠足の後の作文で書いたって。臭いなんて気にしませんって書いたら先生がそこに花丸をつけてくれて、余計に自信持ったと笑っていた。先生は匂いを気にしないことを褒めたのであって、匂いに気がつかないことを褒めた訳じゃないのにって。  他にも子どもの頃のあどけない実紘の話を――。 「ねぇ、悠壱、あっちにもあったじゃん。ギフトショップ」 「……あ」  本当だ。入ってすぐのところにあったじゃないか。出口の付近にしかないものって思い込んでいた。昔、家族で来た時はお土産は最後にねって何度も言われていたからかもしれない。こっちにあるなんて覚えてなかったし、今は見落としてた。 「ぶはっ、悠壱って少したまにドジだよね」  仕方ないだろ。 「だって」 「?」 「デートに緊張してるんだ」  実紘とデートなんて、そりゃ。 「なんだ。よかった」 「実紘?」 「俺も、すっげぇ緊張してて、なんかテンションおかしいから」  あぁ、だからか、今日はいつもよりも饒舌だった。たくさん話してくれている。そして、少し。 「じゃあ、今度こそ、ゴリラゾーン」  少し、過去の話でさえん苦笑いではなく、笑顔でしてくれていた。 「あ、ねぇ! 悠壱」 「?」 「カメラ忘れたんならさ、こっちで撮ろうぜ」 「?」  手を掴まれて、そのまま引き寄せられた。 「はい、チーズ」  実紘がそう言って少し前屈みになり、背を俺に合わせ、顔をくっつけながら自分のスマホをこちらへ向ける。 「はい。撮った」 「……」 「ツーショット初めてじゃね?」 「……あぁ」  実紘は楽しそうに笑いながら、あどけないマフラーが風に飛ばされないようにそっと手で優しく押さえていた。
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