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終章-3
……と、思っていたのに、駐輪場で鉄と鉢合わせしてしまった。
いや、これは鉢合わせしたんじゃなくて、穂波が下校しようとしたところ、鉄が追いかけて来たのだ。
秋晴れの空には、刷毛ではいたような雲が浮かぶ。透き通るような薄雲の流れゆくさまは、天女の羽衣にも似て、涼しげで、また美しい。
そんな爽やかな空の下、何とも気まずい空気が漂う。
穂波は、すでに自転車の鍵を開け、スタンドまであげている。あとは乗って帰るだけだ。
「穂波、もしかして今日、機嫌悪い?」
走って来たのだろう、鉄は少し、息を切らしている。
「そんなことないけど、何でそう思うの」
「だって、目ぇ合わせないし、今もわざと逸らすじゃん。昼休みに話しかけようとしても、席立っちまうし」
「それは、図書室に用があったから」
自転車を押して歩きながら、適当な言い訳をつくる。本当は、図書室に用事があったわけではない。鉄が近付いてくるのに気付いて、逃げたのだ。
穂波が自転車に乗ろうとすると、慌てた様子で、鉄はその前方にまわった。
自転車のハンドルを押さえられて、逃げ場がなくなる。
「なぁ、ちゃんと言ってくれ。今日何があった? 誰かに嫌なこと言われたりしたか」
「そういうんじゃなくてーー」
言い淀む。
できれば話したくない。
時に人を狂わせる、怒りとも悲しみともつかない、この感情については。
そう思うのに、穂波の口は勝手に動いていた。
「ねえ。今朝、話してた子たちとは、仲良いの?」
発してしまった言葉は、もう呑み込むことができない。
「ん? 今朝……。ああ、遠藤と芦屋か。仲がいいわけじゃねぇよ。グループ課題のテーマを話し合ってただけだ」
「そうなんだ。えっと、じゃあ最近は、他の人ともよく話すの?」
「いや。まあ、多少は。……てか」
ハンドルを押さえる鉄の手が、視界に入る。
大きい手だ。
「あぁ、なるほどな」
ふ、と息だけで笑うのが聞こえる。
見上げれば、訳知り顔の鉄がいた。
「なに? その顔は」
「いや。このぶんなら、いい返事が聞けそうだと思って」
「返事って。……あ」
「まだ待っててやるけど。なるべく早めに頼むな」
重大なことを放置していた。
鉄への返答を、自分はまだしていない。
ここが終着点ではなかった。
まだ、やり残したことがあったんだ。
酸いも甘いも、嫌というほど味わった、この半年。
泣いて笑って、怒って、恋に敗れて、しかしまた何かがはじまりそうな秋。
市村穂波は、明日、16歳の誕生日を迎える。
(完)
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