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悪意のない悪意
姑の突然の訪問は、相手への気遣いがなく、したいこと、やりたいことを、これまた一方的に告げるという信じられないものだったが、まだまだ手ぬるく、始まりに過ぎないと知ったのは、それから続く日々により理解した。
朝、仕事に出かける直前に電話がかかってくる。
ついでに病院に連れてって欲しいと。
ついで、って何だ。
こちらは仕事に向かうのであって、遊びに行くわけではない。その病院は徒歩10分圏内であり、姑は足が悪いわけでも腰が悪いわけでもない。熱があるわけでもない。つまり、緊急ではないのだ。
自分で行けよ。
もしくは、年金生活者で自宅にいるであろう自分の夫に言えよ。
それとなく促したけど、帰って来た言葉は更に私の怒りに火をつける結果となった。
夫はもうお酒を飲んでるから車に乗れないのよ。
姑は免許を持ってない。
それはいい。別に構わない。
だけど歩ける足があるのに、歩く気がないようだ。
それどころか、車通勤で仕事に向かう直前の私に「ついで」呼ばわりをして連れて行けと言う。
私の捉え方がおかしいのか。
心が狭いのか。
それぐらいやってあげようよ。
優しさ溢れる善良な嫁ならば言うかもしれない。
だけど、それは分かってない人の台詞だ。
甘やかせばいいってものではない。
やれるべき事をしない、放棄する人間は、自分自身の人生から逃げている。
逃げ癖のついた人間は、ちょっとの躓きや大した事のない事柄に滅法弱くなり、自分で自分の生きる力を奪っている。
生きながら死んでるも同然。
それで迷惑を被るのは本人ではなく周囲ということを、姑はきっと理解していないだろう。
姑は小狡いのだ。
世代的弱者である年配を強調し病院というワードを出せば、断られる事はないと思っている。
そんな風に計算してないかもしれないが、私を私の夫と同じく、悪気なく便利屋扱いで接している。
しかも、言うに事欠いて、送ってくれるだけでいいのよ、などと、いかにも私を気遣ってます感を出していた。
送るしかないだろう。
時間はギリギリだが間に合うはずだ。
仕事に行く前から疲れるのが嫌で、もし今後も送って欲しいなら事前に伝えてくれと姑に念を押したけど、その後もこの直前電話が改善されることはなかった。
何の為に電話があるのか一度、膝を詰めてきっちりしっかりと説明してやりたいところだが、理解するかどうかは知らない。する気もないと思っている。
頼るのはいい。甘えるのもいい。
身内だ。
身内になったからには許容も必要だと思うし、嫁として、夫の妻として、受け入れる立場なのも分かっている。
だけども。
夫婦の休みの日まで連絡なく押しかけてくるとは、どういう了見なのか。
休みがあれば、絶対に姑の相手をせねばならないルールでもあるのか。
流石に私の夫も姑にチクリと言ったけど。
なんて事はない。
堪えてもない。
だって暇なんだもん。
と、口を尖らせて拗ねてしまったのだ。
我が家に居座りながら。
反省も謝罪もなく、こちらが折れるまでいつまでも臍を曲げている。
おいお前、いい加減にしろよ?!
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