第1話

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第1話

 街道筋を外れた川筋で、多聞は水を飲んでいた。  鳥のさえずりと水のせせらぎに混ざって、ふと掠めた声に、多聞は顔を上げた。  耳を澄まし、それがどうやら人が争う声だと気づき、多聞は立ち上がる。  察しを付けた方へと足を向けると、果たしてそこでは数人の野盗が一人の剣士を取り囲んでいた。  状況が見渡せる場所に立ち、様子を見る。  そこは声は聞こえなかったが、全てを見て取る事は出来た。 『5人…いや、6人か…。あまり、上等なヤツらじゃないな』  賞金稼ぎという商売柄、つい値踏みをするクセがある。  まとめて片付けたところで、いくらにもならないと判断した多聞は、次に剣士を見やった。 『こっちも、駄目だな』  野盗達を見据えている剣士は、賞金首などとは無縁な顔をしている。  こんな場所に居るには違和感を覚える、もっと開けた都会に居るべきような男だった。  野盗達は、剣士の華奢な風貌と上等な服装から、手間をかけずに儲けることが出来る相手と踏んだらしい。  首領格の男などは、剣を抜かずに腕を組んだまま笑っている。 『おとなしく切られるような相手じゃ無さそうだが…。全部で掛からねば、痛い目を見るだろうに』  多聞の下した判断が、野盗達にも理解できたのは、手前の三人が剣士に斬りかかった後だった。  叩き伏せられた下っ端達には、剣士の抜く手すら見えなかったに違いない。  下っ端の三人がそれぞれ悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ時、剣士は既に二刀流の内の一本を、首領格の男の喉元へと突き付けていた。  慌てた他の二人を首領格の男が制する。  先程の下っ端達がモソモソと起きあがったところを見ると、剣士は峰打ちを当てただけで切ってはいないようだ。 『これはまた、ずいぶん甘ちゃんだな』  野盗相手に手加減をして、駆け引きに勝てるようには到底見えない。  下っ端達を叩きのめした時の剣筋は、その華奢な印象を持つ身体からは想像も出来ないほどの冴えを見せたが、しかしそれもまた、こんな場所でお目に掛かるのは不自然なほど、正統派の流儀だった。  それはまるで、大層な家柄の若様を見るような、そんな雰囲気を持っていた。  多聞はふとした気まぐれから、彼等の居る方へと移動した。  野盗の首領と剣士は、対峙したままなにやら言葉を交わしている。  かなり近づいたところで、どうやら野盗の方が命乞いをしているらしい声が聞こえた。  その、あからさまに嘘で塗り固められた改心の言葉を、剣士は真に受けている様子で、なにやら説教めいた言葉を投げると、刀を引いて鞘に収めている。  そして剣士が彼等に背を向け街道に向かって歩き始めたところで、首領が素早く目配せをし、野盗達は一斉に剣士の背中に躍りかかった。  多聞が手にしていた短剣を首領格の男へと投げつけ悲鳴を上げさせると、剣士はそれに驚いて振り返る。 「っ!」  首領の悲鳴に、一瞬そちらに気を取られた野盗達は、剣士に抜刀する隙を与えてしまった。  二本の刃が、白い軌跡を描きながら、野盗達をうちのめす。  多聞はその様を、黙って見ていた。  6人を瞬く間に切り伏せた剣士は、首領の腕に刺さっている短剣を抜き、辺りを見回した。 「俺のだ。返してくれ」  多聞は木陰から歩み出て、剣士に向かって手を述べた。 「これのお陰で助かった。恩に着る」  短剣を差しだしながら礼を述べた剣士に、多聞は少し驚いてしまった。  野盗達を切り伏せた時にまとっていた、剣気。  一分の隙もない、身のこなし。  彼等を見据えた瞳には、鋭く冴えた冷気にも似た殺気があった。  しかし今の彼からは、そんなものは微塵も感じられない。 「礼など、いらん。ただ、通りすがりに小遣いを稼ごうと思っただけだ。もっとも、これでは小遣いにはならんがな」  動揺をおくびにも出さず、多聞は剣を受け取った。 「小遣い?」 「こんな所で野盗をしているような連中は、金額に差こそあれ賞金首だからな。次の宿場に首を持っていけば、いくらかにはなるだろう。しかしこいつらは、お前に切られてしまった。俺の稼ぎにはならんと言うことだ」  首領格の男の身体を爪先で転がし、仰向けにして改めた後、多聞は剣士の方へと振り返った。 「俺の顔に、何か付いているのか?」  あまりにもジッとこちらを凝視している剣士に、多聞は訊ねた。 「失礼だが、賞金稼ぎの多聞殿と見受けたが?」  ひどく思い詰めたような表情の剣士に、多聞は怪訝な顔のまま向かい合う。 「いかにも、俺は多聞だが…」  途端に、剣士は抜刀した。 「それはいきなり、どういう事だ?」  訊ねた多聞を、剣士はジッと睨み付ける。 「俺は、東雲柊一。東雲道場の跡取りだった。そちらは覚えていないかもしれないが、俺の父はオマエが賞金首を狩ろうとした時に、その場に居合わせオマエに切られたのだ。道場の跡目を継ぐには、父の仇を討たねばならない。ここで勝負をさせてもらう」  柊一の切り口上に、多聞は少々うんざりしたような顔で肩を竦めた。 「オマエのような甘ちゃんに、つき合ってやるほどヒマじゃないんでな」  踵を返そうとした多聞に、柊一は容赦のない一撃を送ってきた。  紙一重で避けたつもりが、肩口を切られて服が裂けていた。 『こいつぁ…』  多聞は背負っていた長剣を抜くと、柊一に向かって対峙した。  二本の刃を閃かせ、柊一は先程の野盗を峰打ちにしたような手加減をまるで見せずに、多聞の首を狙ってくる。  それは、多聞をたまらなく愉快な気持ちにさせた。  多聞蓮太郎という剣士にとって、自分と同等あるいは自分よりも腕が上の剣士との戦いは、ぬるま湯のような人生の中で唯一の刺激と娯楽だったからだ。  剣技を我流で身につけ、頼るものは己の腕だけで生きてきた多聞にとって、強くなる事はすなわち生きる事だった。  しかし、強い者は敬われるが、強すぎる者は疎まれるという世の構図を知らなかった多聞は、気づけば一人取り残されてしまった。  自分と互角に渡り合える剣士。  それは、多聞にとって唯一「人間」と認識できる相手なのだ。  柊一の剣筋は、正統派ではあるが冴えも切れも申し分なく、道場の跡取りとして余程しっかりと教育されてきたのだろう事が伺える。  そして、それにも増して本人の才能もまた、抜きんでたものを感じられた。  しかも、柊一の剣筋にはこれからの成長がどれほど素晴らしいかを、伺いしれるものがあった。  ここで、ただ一度だけ剣を交えるだけの相手では、あまりに惜しい。 「一つ訊くが、ここでもしもオマエが敗北し、なおかつ命を落とさなかったらどうなる?」  柊一の一撃を躱わし、多聞は訊ねた。 「その時は、再びオマエを追う。だが、オマエに負けるつもりはないっ!」  その返事に、多聞は自分の顔が笑ってしまう事を押さえきれなかった。  いつ、誰がもたらしてくれるのか判らないこの「楽しみ」を、この男が居る限りは与え続けてくれるのだ。  野盗達を一度に6人相手にして、傷一つ負わなかった柊一の太刀筋だったが、しかし、百戦錬磨の多聞の前ではそれも通用しない。  一瞬のスキを突かれて、左側の剣を弾き飛ばされてしまった。  ニヤリと笑った多聞を、柊一は怯むことなく睨み付けてくる。  その眼差しに、多聞は全身が震えた。  挑み掛かるような、強い意志を持つ瞳。  屈服させたいと言う声が、頭の中に響いた。  二刀流の一刀を失ってもなお、柊一の剣は鋭さを欠かなかった。  ともすれば、その気迫に圧されそうになる。 『面白い』  おもわず、本気になってこの場で殺してしまいたくなるほど。  多聞は背中にある鞘をはずすと、自分の剣をそれに収めた。  愛用している剣は、両刃の長剣である。  手加減をしても、峰打ちでは済まない。  ましてやこんなにも気分が高揚していては、手加減を加える事など難しいだろう。  その判断が誤っていなかった事を、多聞はすぐに知った。  打ち込んできた柊一の一撃を避け、多聞は咄嗟にその脇腹を薙ぎ払ったのだ。  多聞の腕に仕留めた感触が伝わった時には、柊一の長身が弾き飛ばされて側の大木に打ち付けられていた。
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