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「またフラれたのかよ」
と、向かいに座った同僚の小泉が呆れた声を出した。
小さな居酒屋の小上がり。黒く光る年季の入ったテーブルの上にいくつもの料理が並んでいる。
眉を寄せて憐れむような視線を向けられて、和田 彰仁は持っていたビールジョッキをグイっとあおると「悪いか」と唇を尖らせた。
29歳、名の知れた大手企業に勤務。
高身長でくっきりと整った顔立ち。名の知れた大学出身。三人兄弟の末っ子で上二人の兄とは3歳ずつ離れている。
ぱっと見が華やかで物腰も柔らかいので年齢問わず女性にモテる。
フリーだと言えばすぐに隣は埋まるし、物心がついたころから告白されることが多かった。
そんな優良物件の彰仁だがたった一つ、ある一点に問題ありでフラれてしまう。
「またアレで?」
ヒソっと声を潜ませて聞いてくる小泉に、こくんと頷いた。
そう、アノ問題で。
お恥ずかしながら高校で童貞を卒業して以来、それなりの数はこなしてきた。どの女の子も可愛くてベッドの中では存分に愛している自負はあるけれど問題は彰仁にあった。
とにかく遅いのだ。
自分が達するまでの道のりがひたすらに遠い。
どんなに好きな子でも、どんなにいやらしい子でも、どれだけ動いても動いてもらってもゴールにたどり着けない。
最初のうちこそ気持ちよさそうだった女の子もそのうちしらけてきて、喘ぐ声も小さく消えていく。はあはあとした自分の呼吸と肉の当たる音だけが聞こえてくる虚しさに行為はフェードアウトしていくのだ。
抜いた後のあの気まずさを思い出すと今でも嫌な汗が出る。
「ほんとにないの? セックスでイったこと」
焼き鳥の串を加えながら聞かれて「ない」と即答する。
そんな相手がいたら絶対に離していない。大事に大事に愛する。
初めての時は緊張してるのかなって笑えたけど、この年で緊張も何もあったものじゃない。
「早いよりいいんじゃないかって思ってたけど、なんか、うん……贅沢言ってんじゃねーよって気分でもあるけど、大変だね」
憐れむような視線を向けた小泉は困ったように片頬をあげた。
だよな、こんな話を聞かされても困るよな。
とにかくそういう理由でセックスで満たされなかった女の人たちに呆れられ、最後はフラれてしまう。
ちゃんと相手は感じさせているのに、やっぱり男の放出でフィニッシュというのがセオリーらしい。
彰仁だってできるものなら大量にぶちまけてやりたい。二人で同時に達して抱き合ってみたい。ふふって顔を見合わせて、笑いあって、気持ちよかったねって満足して終わってみたい。
「じゃあ、お兄さん、俺とセックスしてみない?」
大広間を仕切っているついたてからひょこっりと顔を出した男に声をかけられたのはその時だ。
ついたての上に組んだ腕に顔を乗せて、ニコニコと人好きのする笑顔を浮かべている。
誰に声をかけてるんだろうと辺りを見渡したけれど、ついたて越しにいるのは彰仁たちだけだ。
え、おれ? と自らを指さすと、コクコクと頷いた。
「ごめんねえ、なんか聞こえちゃって。ほらこんなついたて越しだしさ。こっちは一人飲みだったからぜーんぶ聞こえてた」
指の輪に中指を抜き差ししながら男はにゅうっと目を細めた。
声が大きかっただろうか。いい歳をした大人がこんな人前でしていい話題じゃなかった。
「不快にさせたなら申し訳なかった」
頬を染めながら謝ると男はきょとんと首を傾げた。細い目がきゅうっと上がってなんだか狐みたいだ。
「え、なんで謝ってんの? なんか面白そうな話をしてるなあ~って興味が出ちゃったから誘ってんの。どう? 俺多分すごく上手だよ」
「いやーははは。なあ、和田」
突然の変な奴の登場に小泉はソワソワと腰を浮かせた。
視線を送って、早く帰ろうぜと催促する。
だけど彰仁は迷った。
酔っていた。
思っているよりお酒を飲んでいたらしく頭の中がフワフワとしている。思考がうまく働いていない。
でもどうしようかな、と思ってしまった。
このショックを癒してくれるなら。解決の糸口があるなら藁にもすがりたい気持ちだ。
たとえ相手が男でもいいやと思うほどには追い詰められていたのだ、きっと。
「じゃあ、」
そういって立ち上がった彰仁を誰が責めることが出来るというのだ。
唖然とする小泉に見送られながら並んで男と店を出る。
彰仁もかなり身長が高い方だけど、男はその上をいくほどの長身だった。猫背気味な身体をファーのついたコートに埋めながら手を繋いでくる。
「ふふ、楽しい夜にしようね」
耳元で囁かれ、ぐっと手を掴まれたまま夜の街へと連れ出される。長い夜が始まろうとしていた。
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