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迷ってしまった。
蕗を採る為に川沿いを歩いたのだが、今日に限って何故かよいものが採れない。求め歩くうちに、気がつけば森深くまで来てしまっていたのだ。
(旦那様に、また叱られてしまう)
女は少し要領が悪く、夫や姑からは鈍間扱いされていた。森で迷って帰りが遅れれば、また小言や厭味を言われるのだろう。さりとて夕餉に使う蕗が採れなければ、それもまた侮蔑の対象とされる。
ともあれ、日暮前には帰って家事をせねばならない。そう思いながら、今来た道を戻ろうと振り向いた。
「え」
門があった。
黒塗りの、立派な構えの門。いや、門ばかりではない。その奥にはさも当然のように立派な屋敷が建っているのも見えた。
(こんな山奥に?)
女が家人に馬鹿にされるほど鈍くなければ、そんな事よりも先に、今しがた辿ってきた道の上に、突如屋敷が現れている事をまず不審に思っていたはずであろう。終始そんな調子であるがゆえか、女は門扉をくぐって誰のものとも知れぬその屋敷に入るのを恐れなかった。
「…ごめんくださいませ」
返事を得られぬままに女が門から庭へと進むと、そこには大きな畜舎があり、小さな嘶きが途絶えず聞こえる程、何頭もの牛馬がその中に繋がれている。
「…どなたか、いらっしゃいませんか?」
何度も繰り返しながら、女は遂に邸内へと踏み入る。やはり返事はない。ただ襖の向こう、鉄瓶に湯の沸く音だけが聞こえる。女はーー、
その襖を、静かに開けた。
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