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ビターな金曜の夜
辞めたい。向いてない。もう無理。
ビルの通用口から外に出ると、6月の夜のぬるい空気が全身に纏わりついた。遠くから呑み会で盛り上がる声が聞こえてくる。
千紗はやたらと重く感じられるバッグを肩にかけ直し、駅に向かって歩き出した。
辞めたい。向いてない。ほんともう無理。
呪詛のように口から繰り返しこぼれる。
誰もが知る、有名大企業……の子会社でIT技術者として働いて早10年。32歳になった。元々、周囲に流され就職活動をし、なんとなく入った会社だった。10年間勤めているのだから全く適性がないわけではないと思うが、かといって天職であるとは間違っても思えない。
同期入社の女性は半分以上が結婚や出産で会社を辞めた。
金曜の夜なのに、鬱々とした気持ちが胃のあたりに溜まって足取りも重くなる。
どうせ帰っても一人だし。
3ヶ月前に同棲相手は手酷い仕打ちの末、出て行っていた。初めから一人と、欠けたことによる一人は一味違う気がしている。
腕時計を見ると22時を回ったところだった。仕事のトラブルに追われ、昼食のコンビニ弁当から、何も食べていない。
同じようにくたびれたサラリーマンに挟まれて電車に揺られ、自宅に最寄りの駅に着いた。それでようやく、職場の枷が一つ外れた心地がした。
「軽く、食べて行こうかな……」
ファミレスやファストフードの店をガラス越しに眺め、客層の若さに気後れしてしまう。
二食続けてコンビニはちょっとな……と迷いながら、少し足を延ばした。
道路を挟んだ向かいに目をやると、何度か入ったことのあるカフェに明かりがついていた。
上階はオフィスのテナントが入ったビルの一階。落ち着いた設えのカフェで、気に入っていたがなかなかの値段なので、たまの贅沢として利用していた。
夕方までの営業だった記憶があるが、今日は看板にも明かりがついている。
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