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 休日だというのに目覚ましがなっている。充電したスマホまで手をのばさなければ。  目覚ましは告げている。さぁ、その暖かな場所から出てきなさい。そうしなければあなたはずっとこの不快なアラームを聴き続けなければならない。  目覚ましは優しくない。さぁ、朝だよ。起きないと遅刻しちゃうぞ。今日はきっちり化粧を決めていかなきゃならない日じゃなかったの……とは言ってくれない。言ってくれないからわたしはそのことを思い出すまで6畳間の今、一番暖かな場所から出る気にはなれない。ましてや――わたしがスマホまで手を伸ばすためには、ちょっと手を伸ばせばいいという状態ではない。  布団から手を伸ばせばいいという、そういう簡単な状態ではないのだ。  お布団で眠りたい。  押入れには未練がましくもしまったままの羽毛布団が眠っている。寝つきが悪いわたしは、一人暮らしをはじめてからというもの、寝具をあれこれと試すのが半分は趣味のようにものになっていたし、生きているうちで何が楽しいか、何がしたいかでいえば、わたしはぐっすりと眠りたい。寝るのか好きだし、暖かな布団なのかに身を置いていると素敵なことはもっと素敵に思い出せるし、嫌なことはすぐに忘れられる。  わたしは暖かな布団の中で寝ることが、何よりもすきなのだ。  なんでこんなことになってしまったかを思い出すのはもうやめることにしている。考えてもしかたがないことというのは確かにある。だから寝る。仕方がないときは諦めるために寝るし、いいアイデアが浮かんだときはそれを喜んでわたしは布団で寝る。だからこそわたしは布団のことを考えるのをやめ、この目覚ましの意味をゆっくりと思い出し決心する。  起きなきゃ。  わたしには今、とても気になる人がいる。その人はバイト仲間のサチの飲み仲間で、趣味でバンドのボーカルをやっている。わたしはバンドにはまるで興味はなかったけれどサチの強引な誘いと、ライブハウスではなく、小さなライブができるライブカフェで座ってゆっくりお酒を飲みながらおしゃべりもできるところだと聞いて仕方がなく付き合った。  演奏がうまいとか、歌が良いとかよくわからなかったけれども、演奏が終わった後、気さくにわたしに話しかけてくれたり、バンドのメンバーやお客さんや店のスタッフと楽しげに会話している彼の姿がなんだかとても眩しかった。わたしにはとくに趣味もないし、成し遂げたい目標とか、夢とかそういうものを持ったことがなかった。  何よりも寝ることが好き、次に食べること、お酒を飲んで友達とわいわい騒ぐこと、ついでに恋愛が少しでもできたらあとは流れに身を任せておけば良いくらいにしか考えていなかった。だけど彼は違っていた。はっきりとした夢や今大切にしたいことがちゃんとある人だった。そんな彼を見ているうちに彼の歌が少しずつわたしの心に染み渡っていくのがわかった。  ああ、ファンの心理ってこういうものなのかと最初は思ったのだけれども、次第にそれはその枠では収まらないものになっていた。  今日は初めて彼と二人きりで会うことになっている。いつもより早く起きて支度をしないといけない。  わたしは意を決して体を反転させ、衣装ケースのそばで充電をしているスマホのところまで虫のように這って行った。こんなだらしのない姿は誰にも見せられないが、幸いここにはわたし一人しかいない。そうでなくなったとき、わたしはどうやって起きるのかをまだ、考えてはいないが考える必要はまだ、当分はない予定だ。  お昼、新宿駅で待ち合わせて、ランチ、買い物、お茶をして夕方から飲み始めた。楽しい時間が過ぎていく。お互い明日も休みということもあり、あちこち飲み散らかして、気がついたら終電の時間を過ぎていた。お互いに気持ちはある。もうこのまま朝まで一緒にいようという空気にわたしは戸惑いを感じていた。  どうしよう。このままずっと一緒にいたい。だけど、なんの準備もできていない。  わたしはうかつにも帰りたくないという気持ちをすっかり相手に悟られてしまっている。彼も帰したくないという顔をしている。最初はぎこちなくお互いの距離や立ち位置をきにしていたのに、今は身体が離れている時間のほうが少ない。  どこか泊まろうといわれたら、それを断る理由もないし、わたしもずっと一緒にいたい。だけどその選択肢はわたしにとって大きな決断を迫られることになる。誘われて断ってしまったらこの先、こんな機会は二度と訪れないかもしれない。それだけはどうしても避けたかった。それならばいっそう……。 「ねぇ、よかったらわたしの部屋にこない?」  ずいぶんと大胆なことをしていると自分でも驚いている。だけどどうしようもなく、わたしは彼のことが好きになってしまっている。それよりも何よりも、わたしはこんな自分を彼に知って欲しいと思っている。彼のことが好きなわたしを知ってほしいのではなく、わたしが今抱えている問題について、彼になら話せると思った。  わたしは彼に助けてもらいたかったのだと思う。   彼にはわたしにそう思わせてくれる光がある。その輝きに目がくらみ、わたしは彼を部屋に誘ってしまった。
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