壇上に佇む壇下の妻

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壇上に佇む壇下の妻

講談師、崎ノ山沼南(ショウナン)は、豪快な声もさることながら、ユーモアと皮肉屋な冗談が売りの今、ノリに乗っている講談師だ。 売上は上場、世相を斬るかの様な祭囃子と共に人々を、絶対悪成敗痛快娯楽として、名を成して居た。 人々が閉塞感で苦しむこの時代にソレはウケが良かった。 終演後、幕から降りると、彼の家内が、手拭いをよこした。 何で、来た? ショウナンは、随分機嫌が悪かった。売上は、完売だったが、曲の三味線が、随分琴線がズレて居る、ヤツが居たからだ。 畜生、アイツはもう、外しておけ。 そう言い捨て、ショウナンは、消え去る。 幕の下、ソレを涙を堪え、俯く妻、美和はこのままでは、何もかも潰れてしまうと、随分自惚れてしまった今の亭主を憐れんでいた。 眠れない日々が随分続き、さすがに彼の言い分が度を超し過ぎ出した。何か、手を打たないと彼は益々孤立して、この楽座も終わりを告げてしまう。 奔走しなければ、いけないのはいつも妻の役目だった。 彼の弟子達は、彼の事をいつも悔しそうに妬んだ。それをマアまあと宥めるのが、彼女の責務だった。しかし、流石に庇いきれなくなって来だした。 そこで、この妻はオッピキを雇い、彼に一度痛い目を遭って、私が宥めると言う妙な案を思い浮かんだ。自分の印象を良くする為である。 この不満渦巻く、一座を取り仕切る私も、ここで一芝居打つ必要が有る。そう踏んだ、妻は、馬車を走らせた。 しかし、その馬車が何者かに破損されている。これでは、いけないではないか。焦りと共に、仕方ないと足軽を雇うことにし、伝達を頼んだ。 相手は寺の住職、狭間響樹ノ介基い、安寿和尚だった。 寺、なぜに寺なのか?と不思議に思うかも知れないが、この寺には昔から信仰のある仏像が祀られて居た。其れを目当てに沢山の人々が連日訪れる。ここ最近の連日の放火事件の連続に戦々恐々としておる民達は、神仏に藁にも縋りたい想いだった。 信じるものは救われると詠う、詠唱を繰り返す念仏は、とにかく頭の悪い者たちに受けが良かった。考えるのが苦手なモノに念仏を唱えるだけで救われると言う教えは、大衆に多く伝播した。 妻は、それを目当てにこの今自分に降り掛かる火の粉を祓いたいと願い申し出たいので有る。
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