ZERO

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ZERO

 父親は大手企業の社長、母親は有名なデザイナー。多分、私はめちゃくちゃに恵まれた人間だ。家柄だって悪くないし、何より私自身、そこそこ顔立ちいいと思う。この人生に不満を感じたことがないと言えば嘘になるが、それでもその辺の人よりは恵まれてるって自覚があった。けど、それでも理不尽に許されないことってあるんだね。  「稜真(りょうま)、いないの〜?」 ある夏の終わりのお昼頃。水色のノースリーブワンピースに、クリーム色のサマーカーディガン、つばの長い麦わら帽子を身につけた少女・織田萌果(おりたもえか)が、古いけれど大きな日本家屋の庭へ呼びかけた。表札には『七岡(ななおか)』と文字が刻まれている。その庭へひょこっと顔を出した。美しい石庭、その中の小さな池。時折カコーン···と音をたてるししおどしは、それだけで涼しさを感じる。 「···おかしいな、今日いるって言ってたのに」 萌果ははてなと首をかしげた。···と。 「萌果っ」 背後から、すっと通る、大好きでやまない声が萌果を呼んだ。現在恋人である、七岡稜真の声。すぐさまくるりと背後を見る。 「家にいないみたいだからびっくりしたよっ」 「あはは、ごめんね」稜真は困ったように笑った。「知り合いが思いのほか帰るの遅くて···」  萌果は、仕方ないなぁと稜真を愛おしそうに見た。やっぱりこの人のこのほどけた笑顔には、かないそうにない。 「ありがとう、わざわざ来てくれて。暑いし、中においでよ」 稜真にうながされ、2人で七岡家の敷地に踏みこむ。 「お邪魔します!」 「萌果は律儀だなあ」 「いや···家にお邪魔するわけだし、当たり前じゃない?」と、苦笑いする。 「大丈夫だよ」 門に鍵をかけ、稜真はそう言った。 「父さんと母さんは今日、親戚の結婚式に行ってていないから」 「あ、そうなの?とりあえず落ち着いた···」  萌果は、ふぅっと肩の力を抜く。実は、萌果の父が経営する食品会社と、稜真の父が経営する食品会社は今、ライバルの関係にあるのだ。母どうしは、不仲というわけではないが、仲睦まじくもない。そんな中で萌果と稜真が交際をすることは、あまりよく思われていないことだった。 「お茶淹れる?···っていっても、水に茶葉いれるだけなんだけど」 居間に入るなり、稜真が提案する。 「全然いいよ。私やる!」と、萌果は応じた。 外見は古い日本家屋であるものの、内装は非常に綺麗な家だった。キッチンも隅々まで掃除されている。萌果はそのキッチンを慣れた足取りで進み、冷蔵庫に入れてあるガラス瓶を手に取った。中には、冷水がたっぷり入っている。そして木棚から、お茶の葉が入った筒を取り出した。その間に、稜真は隣の棚から木の器と、和菓子を探す。  「お茶はいったよ」 「ん、ありがとう。お菓子も準備完了〜」 と、稜真は可愛らしい木の器の中におさまった、4つの和菓子を萌果に見せた。萌果は、ぱあっと瞳を輝かせる。 「きっ、綺麗な和菓子···!」 「だろ?萌果、絶対こういうの好きだと思って、選んできたんだ」  『四季』。それが、4つの小さな和菓子にそれぞれ詰められている。桃色で桜をかたどり、中央に黄色の飾りをつけた春。若緑の木々と強い日差し、透明な川のせせらぎが表現された夏。紅葉(もみじ)の橙色と銀杏(いちょう)の黄色で覆われた秋。白銀の雪と、凛と咲く椿の紅色が対比になった冬。どれをとっても食べるのがもったいないくらいの細工だ。 「嬉しい···」 萌果は、満足気な稜真に、とびきり幸せそうな笑みを浮かべる。 「ありがと、稜真。だーいすきっ」 「!うん···俺も」 その後は縁側に腰掛けて、ただ話した。時折和菓子を惜しんで食べて。今だけはセミの声も聞こえない、暑くもない。風鈴の音が、2人の間を通り抜けるだけ。  ああ、願わくば、この時間が、ずっと。 ───────···うるさい。 うるさい。痛い。腹痛、頭痛、めまい。 なんだこれ。夢?最悪すぎる。 今日は稜真とあんなに···笑ったのに。 早く覚めろ、覚めろ。···夢じゃないの? ねえ。誰か!!私を助けて、この夢から。 声も出ない。雑音がひどい。 だめ···私はまだ···死ねないのに。 死にたくない。まだ何にもやってない! お父さん、お母さん、どこ?廊下がゆがんで、 なんにも見えないよ。耳がちぎれそう···。 あぁマズイ、目がぐらぐらする。 苦しい···何で?私は何にも、してない······、 稜真。  「ゔ···」 重たいまぶたをあげる。ぴかっと、光が目に飛びついてきて、思わず目を再び閉じた。なんだか、ふわふわする。 目を開けた途端、 「······え?」 と、萌果は言葉を失った。喪服を身につけた父、母、稜真、親戚や友人。お香の匂い。そして、足元に横たわる『自分』···。生花が敷きつめられた棺桶に、萌果が横たわっているのだ。 「うそ···私、死んじゃったの?」 この体の浮遊感は、肉体から魂が抜け出す──幽体離脱というやつか。本当にあるなんて。  死んだってことは、さっきの痛いのと苦しいのは現実だったってことだ。毒、とか···?けど、何か毒物を体内に取り込んだ記憶は······まさか。いや、そんなはずない。だけど、私が今日体の中に入れたのはあのお茶と和菓子だけ。もしあの茶葉か和菓子に毒を入れられるとしたら? 「それでは、火葬に移りましょう···」 葬式の司会か何か分からないが、その男がそう言う。暗く静まり返ったホールから、死体の萌果が火葬場へ移る。 (もう死んでるとはいえ、自分が燃やされるの見るのは怖いなぁ〜) そう他人事のように、足元の様子を見続けた。 (あー···ホントに死んだんだ、私)  もうピクリとも動かない、死体と化した萌果の体が、火葬炉に消えた。あの中はきっと今から、彼女を焼くために真っ赤な炎があふれて、明るくて熱いに違いない。 ジュワ··· 耳に、聞きなれない音が届いた。そして同時に目に映る。萌果の透けた腕が溶けるように消えていく様を。 「っえ、うそ、もうお終い?!なんで···やだ、まだ消えらんないよ!私はまだ···ッ」 焦ってもがくも、萌果の透けた体は空気にまぎれて影も残っていない。  その間、萌果の死体は炎に焼かれていく。透けた萌果もそれに伴って消えていく。まだ、ここにいるのに。私はまだここにいるのに。 「······っ、誰よ」 ジュ···と、萌果の意思に関係なく、誰にも知られず、消える。「死ぬ」ってこういうことか。全部消えて、いつか忘れられちゃうのか。 「私を殺したのは···!」
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