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 その日の午後九時半過ぎ。  大黒橋と深谷は、神楽坂の入り組んだ路地裏にある「夕月」の暖簾をくぐった。でかい赤提灯が人目を引く居酒屋である。  勤務中につき酒はNGだが、食事なら問題ない。  ピーク時間帯を過ぎているのか、店内は空いていた。カウンター席に一人客がまばらに座り、テーブル席は四分一ほどが埋まっているだけでだった。  大黒橋たちが入口近くのテーブル席に腰をおろすと、東南アジア系の顔立ちをした女の子がオーダーを取りに来た。  ノンアルコールビールと焼き鳥と枝豆を注文すると、たどたどしい日本語で復誦した。 「ここいらの大学に留学してる子たちですよ。日本だと生活費もバカになりませんから、バイトで稼ぐんです」  大学が斡旋してくれる学生で身元がはっきりしているので、安心して雇えるのだと深谷が説明した。  すぐに冷たいノンアルコールビールが運ばれてきて、大黒橋と深谷は軽くコップを合わせた。  二人は店内を見回した。いかにも古そうな飲み屋だった。煙草のヤニで茶色く煤けた天井、脂のこびりついたダクト、暗い電灯、壁の品書き札も真っ黒で文字がかすかに読める程度である。昭和レトロの雰囲気が漂っている。もちろんそれらは何十年も昔から積み重ねてきた歴史なのだと、大黒橋は思う。  ノスタルジーに浸るにはいい空間だ。大黒橋は素直に認めた。  伊崎雅也と門伝光樹は、ここで一緒に飲んだという。伊崎にとって、この店は郷里のような場所なのだろうと大黒橋は想像した。学生時代の伊崎の仲間たちはここで飲み、食い、饒舌を謳歌した。もんちゃんを含めてここで過ごした時間を、伊崎は光樹に共感してもらいたかったのかもしれない。彼が死んでしまった今では、確かめることもできないが・・・ 「あんまりきれいな店じゃありませんね」  深谷が閉口している。彼は若いから、もっと小ぎれいな店が好みなんだろう。  大黒橋は苦笑しながら言った。 「汚いきれいは関係ないだろ。メシを食いにきたわけじゃねえよ」  門伝光樹たち以外に関わる人物がいるとすれば、それが誰なのか調べなくてはならない。コロシの動機が怨恨なのか奸計なのか、まるでわかっていない。鑑識はプロの手口だと言ったが、プロに殺害される背景は何か。  背景を探る前にやるべきことが山積していた。上層部は、影山梨沙子、伊崎雅也、門伝光樹の足取りの裏付け捜査から始めることを指示した。  飯田橋駅周辺、神楽坂界隈に設置された防犯カメラの解析は、別働班が担当してくれることになった。三人の後ろをマークする不審者がいないか調べるチームだ。  一方、居酒屋で過ごした伊崎雅也と門伝光樹の様子を調べるのが、大黒橋たちの任務だった。 「そうですね、すんません」  深谷は頭を搔きながら枝豆に手を伸ばした。
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