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空港からの帰りは、慧の車だ。
慧は、しばらく無言で車を走らせる。蛍はというと、助手席から慧の顔をチラチラと眺めるだけで、言葉を発することができないでいる。オウルはマイペースに蛍の膝の上で微睡んでいた。
「何か言いたいことがある?」
視線は前を向いたまま、慧が尋ねてくる。
言いたいことというか、聞きたいことはある。フレッドが蛍をフランスへ連れて行こうとしていたのを、どうして知っていたのか。しかし、たったそれだけのことが上手く言葉にできない。
口籠る蛍を見兼ね、慧はやれやれというように小さく息を吐き出した。
「こっちから言いたいことは山のようにあるけど、とりあえず先にネタバラシをしておこうか」
「ネタバラシ……」
「どうして僕らが空港へ来たのか」
やはり、慧は蛍の心が読めるらしい。
蛍はコクリと頷き、慧の話に耳を傾けた。
「まず、フレッドとブロンシュが僕に無断で蛍ちゃんを訪ねたよね。それを知って、嫌な予感がした」
「え? どうしてそれを……」
「前に、ブロンシュが蛍ちゃんの部屋に忍び込んだことがあっただろう?」
忍び込んだ、というのは人聞きの悪い言い方だが、一応は合っている。突然、部屋に入ってきたのだから。
「はい」
「で、またそんなことがあったらとっちめてやろうと思って、わからないように結界を張っておいたんだ」
「ええっ!?」
蛍の声で、オウルの目がピクリと動く。蛍が慌てて口を閉ざすと、オウルは再びうとうととし始めた。よくわからないけれど、きっと疲れているのだろう。蛍はオウルの羽をそっと撫でる。すると、オウルは完全に眠ってしまった。
「結界って、どういうことですか?」
小声で尋ねると、慧は「鳴子みたいなものだよ」と答える。
鳴子といえば、そこに引っ掛かると音が鳴る、あれのことだろうか。要は、誰かが蛍の部屋へ入ると、慧に知らせがいくようにしていたということだろう。それで、あの二人が蛍のところへ来たことを知ったのだ。
「でも、どんな話をしたかはわからないですよね?」
「そんなことないよ。大体予想はつく」
「嘘……」
「フレッドがわざわざ日本に来るって時点で何かあるとは思ったし、おそらくそれが、蛍ちゃん絡みだろうってことも最初からわかっていた」
「……慧さんって、やっぱりエスパーでしょう?」
「本当にそんな力があれば、もっといろいろ上手くやれると思うんだけどねぇ」
慧がカラカラと笑う。ようやくいつもの慧になったようで、蛍はなんとなくホッとした。すると、慧の手が伸び、蛍の頬をするりと撫でる。
「なっ……」
「笑った」
「え……」
「さっきまでは、ずっと不安そうな顔してたから」
「それは……」
慧がずっと黙ったままだったから。
蛍が何の相談もしなかったことを怒っているのか、他に何か気に障るようなことをしてしまったのかなど、ぐるぐると考えていたからだ。
「あの二人がやって来た後、蛍ちゃんが思い悩んでいるのは知ってたんだ。蛍ちゃんって素直だから、顔に出るんだよね」
「うっ……」
蛍が仕事を休んでいる間も、慧とオウルは毎日顔を見に来てくれた。蛍は悩んでいることがバレないように必死に隠していたのだが、お見通しだったようだ。
「相談してほしかったけど、一人で考えたいっていう気持ちも伝わってきた。だから、あえて何も聞かなかったんだ」
「慧さん……」
「フレッドが蛍ちゃんの力を欲しがることはわかっていた。蛍ちゃんがヒーラーの力を与えた時からね。フレッドはなんだかんだと理由をつけて、蛍ちゃんを連れて行こうとするだろう。本当はわかった時点で止めたかったんだけど、我慢した」
道が混んできたようで、車が停まる。
慧が蛍の方を向き、切なげに目を細めた。
「蛍ちゃんに、自分で決めてほしかったから。でも、フランスに行くって言われたらどうしようかと、ずっと不安だったよ」
「……それでも、慧さんは渡さないって」
「うん。絶対に阻止するつもりだったけど、それでもさ……やっぱり、蛍ちゃん自身で残ることを決めてほしかった。だから、空港へ向かう蛍ちゃんを見た時は、死にそうなくらいショックだった」
「ごめんなさい……」
車はまだ動かない。
慧は大きく伸びをし、その手を蛍の頭にポスンと乗せる。
「でも、断るためだと知って、僕がどれほど嬉しかったかわかる?」
蛍はふるふると首を横に振る。
慧は満面の笑みを浮かべ、自分のシートベルトを外した。
「慧さん?」
「これだから、恋人なんて言われるのかな。別にもう、その名前でもいいんだけど」
「へ? 慧さん?」
慧は蛍に覆い被さり、唇を重ねる。
「……っ!」
「今はこれで我慢。フクちゃんもいるし、邪魔されるのはごめんだからね」
「えっと、あの……?」
「言っておくけど、僕は、蛍ちゃんがヒーラーだから好きとかじゃないからね。蛍ちゃんだから好きなんだよ。蛍ちゃんじゃなきゃ、ダメなんだ」
「!」
蕩けるような微笑みでそんなことを言わないでほしい。今にも心臓が止まりそうだ。
放心している蛍をよそに、慧は再びシートベルトを締めて機嫌よく鼻歌などを歌い出す。
好き? それは人として? それとも、異性として? 私じゃなきゃダメってなに!?
あぁ、録音でもして聞き直したい気持ちだ。
でも、そんなことをしても無駄なことはわかっている。何度聞いても、信じられないと思ってしまうに決まっている。
蛍が顔を真っ赤にしながら心の中で慌てふためいていると、慧が更に甘い視線を投げかけてきた。心臓が、バクンと大きな音を立てる。
「可愛い」
何気なく呟くようなその声に、蛍はへなへなとシートに寄りかかり、白旗を掲げたのだった。
了
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