SIDE ”ブラン”

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SIDE ”ブラン”

「ねぇ、おおおばちゃん。ブランはぁ?」 「どこぉ?」 その可愛い声たちが。最初に我を探すのは嬉しい。 だけど。 「そういえば、今日は居ないねぇ」 そう返事をしてくれるタミコの声にほっとする。 さっきまで。タミコの膝の上にいたことは、内緒にしてくれるらしい。 我は子どもが嫌いではない。 それでも。タミコの妹、カズコのひ孫にあたるあの兄妹は。 元気すぎて。 長い時間相手をするのは疲れてしまう。我はもう・・・ん? 200歳をとうに越しているではないか!すっかり忘れていた。とっくに寿命といわれる年齢を過ぎていた。 それでか。最近、近所の子どもの相手も辛かったのは。 タミコはちゃんとわかっている。 「あなた達、夕方には帰るんでしょう? ブランはその前には。きっと帰ってくるわ。 それまでは、お庭で遊んでいらっしゃいな。おやつの用意をしますからね」 これで、あやつらが帰るまでの小一時間相手をするだけでよくなった。 庭で遊びだした兄妹をこっそり見守る。タミコだけが我に気づく。 「危なくないか見ていてね」と口が動き、彼女は台所へおやつの用意に行った。 この家で、我の名前がブランになったのは3年前だ。初めてあの子たちがやってきた時。 「ブランカって外国語で白いって意味なんだぞ」「お兄ちゃんちゅごーい」 それまではしろと呼ばれていた。 時々は3代目のしろ、と。   ・  ・ 巣立ちの日。 我は決めていた。異世界の島に棲まおうと。 我らは、違う世界を飛び回ることができる。 裕福な国も。幸せな国も。国という概念のない世界にも。 どこへでも行ける。 母親は、あちこちへ連れて行ってくれた。 見るものすべてが面白かった。 それからすると。この島は裕福でもなく。面白いものもない。 すべてに取り残された島国だ。 そう、言葉すらも。 この国の言葉は古臭い。 あまりにも古く取り残されているせいで。我ら魔獣にも理解できる。 きっとそれが嬉しかったんだ。母親はよく連れて来てくれていた。他の魔獣もよく見かけた。 ここでは、姿を猫と呼ばれる動物に似せた。我の生まれた世界にもいるリンクスという動物。 それはもともと我らを小さくしたような生き物だ。 「ちちんぷいぷいごよのおんたから」 結局。 巣立ち後、まっすぐにはこの国へ来なかった・・・はずだ。 随分時間もたって。昔の記憶はあやふやだ。 この島に棲むと決めていたから、確かいろんな世界を見て回って。 やっと来たんだった。 しかし。それは飢饉の年で。 人の食べるものも無いなか。猫の姿の我になどもっと食べるものは無かった。 魔力はここへ来るときに、気にもせず使い果たしていて。 食べなければ、力もつかず。力がつかなければ、他の場所へ逃げることもできない。 この島で。儚くなってしまうのかと覚悟した。せざるを得なかった。 ・・・その呪文が聞こえるまでは。 「ちちんぷいぷい」 まだ、少女とよんでいいのだろう。この国特有の、紐をくるりと巻いた奇妙な衣装を着ている。やせ細った彼女は、言いながら我を撫でた。 『それは癒しの呪文だな?』 少女の手はぴたりと止まる。 『急に現れたと思った!やっぱり神様のお使いなのね。どうか。どうか。弟をお救いください』 少女は我に食べさせてくれて。 『いいの。いいの。どうか代わりに弟を』 それが、最期の言葉だったはずだ。 この国で、最初に会った少女はそれからすぐに死んでしまった。 時々見に戻ったが、弟はちゃんと大きくなって家族も持った。 我は・・・あちこちとこの国を歩いた。 南のほうへ行った時には、気のいい男と仲良くなった。 この国で飼い猫とは、ときどき餌をやる猫のことだったから。 好きなように外で過ごし、好きなように彼の家に入って寝た。 法に触れる悪いことをしていた男だった。 『生きるためにやったことだ。後悔はしてねぇ。だが、悪いことをした以上、救われることはできない』そう言って。喧嘩の挙句死んでしまった。 東のほうへ行った時には、かなり高齢の女性と暮らした。・・・いや、あの時代には高齢だったが、今のタミコより30歳は若かった。 「猫又のくせに優しいんだね」・・・あぁ。最初はそれが何か知らなかった。10年近く一緒にいただろうか。彼女もまた。『もういいよ』と言って、死んでしまった。 あちこちと旅してまわって。西のほうへ行った時には、たくさんの子どもが一緒に生活する家を見守った。そこの子どもはずっとは居ない。仲良くなったと思ったら、ほかの家へと行ってしまう。それが続いて・・・嫌になってまた旅に出た。 いろんな人間と会って。友人になったけど。 人間の寿命は短い。短いくせに、自分から死を選ぶやつまでいる。 それでも”人間の味方”でいたいと思っていた。 我が生まれたのは、魔法を使える世界の。王都の森と呼ばれる小さな森だ。 小さな国の首都にあったために、そう呼ばれていた。 その森にそれなりの時間戻ることもあった。どうしてか、あの島国に居られない時期があったから。 どうやら、人がたくさん争うような時には。行くことができないようだった。 とうとう我は。ひなを、それを産んでくれる相手を。持つことはなかった。 我が生まれた世界では、我らは”聖獣”と呼ばれている。・・・言葉としてはもう理解できぬが。その意識はわかる。人間の味方。 我は人間を見ているのが好きだ。人の営みこそが美しいと思う。 この世界の人間たちも見ていることはあったが・・・。 生涯で一番長く、ともに過ごしたのは・・・異世界のタミコだ。 やっと島国へ戻れたすぐのころだった。 「いたいのいたいのとんでいけ」 ・・・またも癒しの呪文か。小さな手が我をなでる。 この異世界には魔法などないのに。この島国では誰もが呪文を唱える。 使えぬ者も、それを唱える。 『(ぬし)は使えるのか?』と見上げると。 10歳を過ぎたくらいの子ども。 泣きはらした目。・・・そうか。呪文は自分へ唱えたのだな。痛いのは心か? 黒髪に黒い瞳。これもまたこの島国人の特徴。 『母さんはもういないから。わたしがしっかりしなくては』 ・・・あれが初めての邂逅。 タミコとの出会い。・・・あれからもう70年以上になる。 タミコは我を家の中へ入れてくれた。 会った頃まではまだ。飼い猫とは、ときどき餌をやる猫のことだった。 我もまた近くの数軒の家で、みんなから飼い猫として扱われた。 タミコは母親を亡くしたばかりで。弟妹が5人もいた。 父親が働きに出ている間。その面倒を見ることと、家事は。長女のタミコの仕事。 タミコは一番下の弟が、遠くの町へ働きに出るまで結婚しなかった。 そして、父親が病に倒れると、もう結婚できなかった。 タミコは家を守り、自分たちの食べる分の畑を守り。 父親を看取って。 そうやって長い時を過ごして。 髪も白くなった。 その頃には、我は3代目のしろになっていた。 幼馴染がやってきて。不思議そうに聞いてきたのは。 彼女と出会って25年も経ったころだったろうか。 「この猫。あなたが小さいころ飼っていた猫? ずいぶん年寄りのはずよね?」 「この子は子どもよ。親そっくりでしょう?引き取ってしまったの。 ・・・そういえば、しばらく親猫のほうは来ていないわねぇ」 タミコはそう返事した。 やはり。 今までの友人と同じか。お前も気づいていたのだな。 この島では、猫は30年生きると猫又という魔獣になるという。 我を猫又と知ってもなお。タミコもそばに置いてくれるんだな。 だから、我は。孫猫になった今もここに居ることが出来ているんだな。 タミコは、「ええ。2代目なの」「3代目なの」と胡麻化してくれていた。 4代目はどう言い訳する気だか。 また。親そっくりの猫だけ引き取ったというのか。 面白くそんなことを考えていた。   ・  ・ 「おつかれさま」 言いながら、タミコは我をなでる。タミコはもう着物は着ない。このスカートというものは膝に乗りやすくていい。 『その言葉もまた、癒しの呪文だな』 カズコの孫たちが帰ってしまうと、我はすっかり疲れていた。 タミコの膝でうとうとして。 『・・・至福の時とはこういうものなんだろうな』 タミコはくすくすと笑ってくれた。 それからしばらくして。 タミコが起きてこない朝。・・・我は枕元へ座り込んだ。 「いいの。やめて。 もう私はとしだもの。友人や。家族のもとへ行くわ。 ・・・もしも。あなたをひとりにしてしまうのなら・・・ごめんなさいね」 タミコはそう。我に話しかけた。 ・・・ああ、またか。我の友人はみんな。もういい、と言う。 我は治癒の力を止めた。 「あなたがそばにいてくれて。 幸せだった。寂しくなかった。 なのに。おいていく私をゆるしてね」 そう。いつも。そばにいてほしいと願っているのは我のほうだ。 そうして、いつも。みんな我を置いていく。 タミコは最後に我を撫でてくれた。 『いたいのいたいのとんでいけ』
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