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ダニエルの吐露
ダニエルの顔は酷い有様だ。
拭うこともせず垂れ流すままにしているせいで、美男子と持て囃されていた面は見る影もない。
憔悴、絶望、後悔、様々な負の感情が胸に渦巻いていることだろう。
ダニエルは迂闊だがバカじゃない。
ダニエルは小心者だが逃げない強さがある。
それは時に無謀で、刹那的で、破滅的な要素を含んでいた。
ゼフは悟っていた。
ダニエルに語ったものは始まりに過ぎない。
でも後に続く内容はもっと最悪だと言う言葉に、己の犯した罪がゼフにバレている、ということをダニエルは理解したはずだ。
「なぁ、ダニエル。何でお前はロゼを裏切ったんだ。あんなに好きだったくせに、将来まで誓ったくせに、何よりロゼの為に王都行きを決めたのに……どうしてだ」
「……やっぱり、全部知っているんだな」
「ああ。見たからな」
「っ、まさか、ロゼも……?」
ゼフは迷いなく頷いた。
ここまで話しておいて嘘はつけなかった。
「い、いい訳だけどっ、あれは裏切るとか、そんなつもりはなかったんだ! お、俺だって嫌だった。やりたくなかった! でも王都に出て来てすぐに、ミシェル様の乗っていた馬車に接触して……それで……っ」
ダニエルはほとんど聞き取れないようなか細い声で、そうなった経緯を話し出す。
貴族の乗った馬車と接触事故を起こした平民は、普通ならそのまま放置されるか、無礼だと斬られるか、不敬を働いた償いをしろと迫られる。
幸い軽症だったダニエルは、降りて来た貴族にどんな理不尽を言われるのか身構えていたが、目の前に現れた三十半ばの女性は怒鳴りもせず、扇子から覗いた目でダニエルを舐めるように見つめたあと、
『お前は平民にしては綺麗な顔だから特別に許してあげる』
と言った。
安堵しかけたその時。
ただし、私の遊び相手の一人になることが条件だと、付け加えられたのだ。
ダニエルは自身の事情を包み隠さず打ち明けた。
出稼ぎに来ていること。
一年後には故郷の村に帰ること。
都会の洗練された振る舞いなど知らないこと。
貧乏で武骨な男だから貴族の女性のお相手などとても……と穏便に断るつもりだったらしい。
だが、
『では一年。私がお前を買ってあげる。汗水垂らして働くよりも、うんと高い給金を約束するわ。上手く出来たらその都度ボーナスだってつけましょう。これは仕事よ。貴方に拒否することは出来ない。だって貴方が嫌だと言えば故郷の村に責任を追求するだけだもの』
自分が正直に話したばかりに、村の名前は知られてしまっている。
下手に歯向かうよりも、一年を期限としてくれるなら甘んじて受けるしかない。
それからダニエルは、やりたくもない、したくもない仕事を強制的にやらされることになる。
ミシェル様は結婚していた。
子供も二人いた。
務めを果たしたから互いに好き放題。
ミシェル様の夫は五人の愛人を囲い、ミシェル様はミシェル様で、遊び相手という情夫もダニエルの他に三人もいた。
愛のない政略結婚の成れの果て。
平民には理解出来ない感覚だ。
ダニエルは丁度良かったのだ。
ミシェル様のお相手の三人は貴族の既婚者で、逢瀬もままならない。
時間を気にせず、相手の気持ちも考えず、言われた通りいつでもどこでも欲を発散させてくれる便利な男。
ダニエルはこの一年、悪夢だと思っていた。
解放された時は涙を流して喜んだし、帰郷中に全て忘れようと固く決意していた。
それが、それが、あの悪夢がまだ続いていたなんて。あの悪夢が元凶だなんて思ってもみなかった。
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