6:触れられるわけがない

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「俺が言える立場じゃないけど、本当に強情だよな」 「ははは、でも今回はちょっと違うと思ってるんだけど………ん?」 そこまで言いかけて背後に誰か居るような気配を察し、会話を止めてしまった。振り向くと、一人の女性が僕の様子を伺うように見ていた。 「……あれ、恭君?貴方、木之本恭君だよね?」 「え?……有史のお母さん!?」 目が合った瞬間、僕の姿に目を丸くする有史のお母さんだった。昔と何も変わらなくて、久しぶりでも気付くのに時間はかからなかった。 隣に居た皇も「え!」と驚いたような声を出していて、有史のお母さんは僕の様子に確信して満面の笑みを浮かべた。 「吃驚した!偶然!こんなに大きくなって〜…小学生振りよね?あの子と同じ学校だったのね。何も教えてくれないのよ、ひどい」 「お久しぶりです。僕も吃驚しました。…あの、小学生の時は何も挨拶出来ずに転校してしまってすみませんでした」 「いいのいいの。突然だったし、恭君のお母さんとは挨拶出来たんだから気にしないで。…そういえばあの子ね、恭君が転校するって聞いた時から分かりやすいほど家で落ち込んでたのよ。見せてやりたかったな〜」 「………そうでしたか」 有史のお母さんと僕のお母さんは近所という事もあって面識はあった。それにしても、今の有史のお母さんの口振りから小学生の頃から僕のことを思ってくれてたんだろうか。それだと結構長い期間になるけど…まさかな。 「けどねー。次はあの子の番だなんて。だから偶然でも今日会えて良かったのかも」 有史のお母さんは口元は笑っていたが、何処か遠くを見ながら寂しそうに呟いていたが、不穏な言葉に皇と怪訝なまま目が合い、変な汗が出た。 「…あの、何の話ですか?」 「え、聞いてなかった?実はアメリカの高校に転校することになったの。いつか行く予定だったんだけど、それが早まっちゃって」 信じがたい言葉に声が出なくなった。 有史が転校する?嘘だろ? 「ここを卒業してからアメリカの大学に行く予定だったんだけどね、行きたい学科に入るには必須科目が多くて…って、恭君!?」 「ぅっ…」 ずっと心の中で押さえ付け、溢れないように我慢していた何かが決壊した。 声を押し殺せずに、どんどん目から涙が溢れてくる。 信じたくないのに説明を聞けば聞くほど実感していき、有史のお母さんが今日学校に来た理由も分かってしまった。 転校先がアメリカということは余計に距離が離れてしまって、今の状況だと有史ともう会う事は無いんだと想像してしまった。 周りが涙で歪んで見えるほど涙が止まらない。 有史のお母さんが僕を宥めるように頬に手を添えてきた。 「恭君、泣かないで。ごめんね。はぁ、本当に…何で友達に話さないかな~」 「うっ、…すみませ…っ」 今になって小学生の有史が落ち込んでいたという気持ちが痛いほど分かってしまう。こんな事が発覚して、有史との関係が更にもどかしく感じてしまうなんて。だとしても、涙を止めたい。突然泣くなんて二人は絶対に困っている。 どうにか止めたくて涙を拭っていると、拭う手を皇が引っ張ってきた。 「…皇?」 「ノアのお母さん、話しの途中なのに突然で申し訳ありませんが、恭をお借りしてもいいですか?」 「え、えぇ。構わないけど…」 有史のお母さんもきょとんとした顔で僕から手を引いていて、僕も何をするのか皇を見つめた。 「今すぐノアに会いに行こう」 「…会いに行く?」 皇が有史のお母さんに一礼し、早歩きな皇に手を引かれたまま寮の方へ歩き出した。 「皇、待って!」 会いに行くって、こんな気持ちが整っていないぐちゃぐちゃな気持ちで会うなんて言い出す皇に戸惑いを隠せない。そして今まで会えなかったのに、どうやって会うんだ。それに今の有史は体調を崩しているらしいし。 強く腕を掴みながら歩く足を止めない皇がスマホを耳に当てて、少し経って切ると、また耳に当てていた。誰かに電話を掛けているみたいだ。 寮の廊下に辿り着き、僕の部屋を通り越してどんどん突き進んでいく。 「…もしもし?今、恭と一緒に俺の部屋に居るんだけど、抱くことにしたから。もう我慢しない」 「はい!?」 皇は言いたい事だけを言うと電話を無理に切ったように見えた。皇らしくない淡々とした発言に涙が引っ込んで焦りが生まれる中、あっという間に皇の部屋に着いてしまう。 慣れた手つきで鍵を開けて「靴を脱いで」と急かされるように部屋の中に引っ張られた。 「こ、皇…さっきのって、何の話?今の電話の相手は有史?」 「うん、ノアだよ」 そう言うと靴を脱いだ僕の手を引っ張り、ベッドのある場所へ無理に連れていかれると、ベッドに押し倒された。 「え、え、さっき言ってたのは抱くって本気?何考えているか分からないけどダメだ!」 薄暗い部屋と何を考えているのか分からない皇の雰囲気に慄きながら押し返すが、次は腕を優しく掴んできた。 「大丈夫。何もしない。ノアを動揺させる作戦だから」 「ど、動揺させる作戦って…」 それは唯人が言ってた作戦を思い出し、良い勝負ってくらい質の悪い作戦だった。 「あのさ、前の話の続きなんだけど、恭の事が好きなのは本当だよ。“これ”見た時に嫉妬したし。ただ、どっちに嫉妬してたか分からくて、自分が何をしたいのか分からなくなってた。…どちらも失いたくない時って、どうしたらいいんだろうな」 静かな部屋に少しだけ震えているような皇の声が響く。僕のネクタイを緩めて制服のシャツを鎖骨が見えるまで剥くと、以前有史につけられたキスマークの痕があった場所を人差し指で撫でた。 そして、どっちに嫉妬してたか分からないという言葉が耳に残った。
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