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前編
昼休みのチャイムが鳴り、それまで張り詰めていた空気がふわっと和む。
「あー、メシだ!」
隣の席の酒井が背伸びしながら、僕の背中を叩いた。
「今日、嫁さん寝坊したから弁当ないんだ。お前コンビニ行くんだろ?一緒に行こうぜ」
新婚生活1か月目の酒井。軽く自慢しながら席を立つ。くそぉ、お前がこの結婚をするのに、泣きながら奥さんに懇願したのを僕は知ってるんだからな。
オフィス街のコンビニ。昼休みには戦場と化す。弁当コーナーには人が群がり、スィーツコーナーには女の子たちがキャイキャイ騒いでる。よく見ると、甘党の我が上司も加わってるな。
僕、島崎孝義は最近、このコンビニにほぼ毎日通っている。弁当を作ってくれる奥さんどころか、彼女すらいない。まあ彼氏なら1年前にいたけど。ただその時は僕が弁当を作っていた。今だって作れるけど、自分だけに作るのは正直、めんどくさい。
ロースカツ丼をチョイスして、レジに並ぶ。
「おー、今日は多いな」
レジは3つあって、それぞれに数人の行列ができている。お腹をすかせたヒナのように、みんなソワソワしていた。
「これくらいの人数なら、レジはけるの早いよ」
接客兼レジ担当の横には『弁当温め』係の店員がいる。普通ならレジ担当が弁当を温めたり、揚げ物などを取り出したりするが、このコンビニは昼間だけこんなフォーメーションが組まれている。
それによって時間が短縮されて、早く人がはけるのだ。
僕は外回りの仕事中に、昼食を買いに他のコンビニへ行くことがあるけれど、やはりここが一番早い。コンビニ接客早業大会があったら、優勝するんじゃないかな。そんなことを思いながら、列に並ぶ。
「島崎。あっちの方が人が少ないぜ」
「ん、こっちでいい」
酒井は不思議そうな顔をして、少ない方のレジに向かう。いいんだよ、僕はこのレジがいいんだ。だって彼がいるんだもん。
カウンター向こうに立つのは、背の高い茶髪の男性。忙しそうに接客している。そう彼が今、僕が密かに会うのを楽しみにしている人だ。
列が短くなり、僕の順番になる。ロースカツ丼をカウンターに置くと、彼は爽やかな笑顔で接客してくれる。少し筋肉質な腕がチラッと見えてドキドキしてしまう。そして手のひらには大きな傷跡がある。
「いらっしゃいませ!レジ袋は必要ですか?」
体育系のその風貌の割には、少し甲高い声で彼は僕に聞いてきた。
「いえ、必要ないです」
「お弁当は、温めで良いですか?」
ニコニコしながらそう聞いてくる。
「お願いします」
そう僕が答えると、分かりました!と元気な声。そしてここからが真骨頂!
くるりと僕に背中を向ける。
「弁当、温め」
今までの声とは全く違う、低い声で弁当温め要員へ呟く。まるで天使と悪魔の声みたい。僕はその様子を見ながら、にまにましていた。
「何その萌えどころ。全然キュンともしないわよ」
ゲイバーのカウンター越しに、ママが電子タバコを咥えながら、若干引いた目で僕を見る。
「えー、だってどんな声が地声なのかなって想像したらドキドキするんだもん」
友達と話す時はどんな声なんだろう。恋人に囁く声は?エッチしてる時の声は…?
「シマちゃん、何想像してんのよ。すけべな顔になってる」
ママはオーダーしたジンをカウンターに置いてくれた。僕はそれを一口飲む。
「そうそう、声と言えばタキくんだわね。あの子の声、いいオカズになりそうなのよね」
「タキくん?」
「ああ、最近ここに来てくれる若い子よ。シマちゃんはまだ会ってなかったかしら」
カラン、と店のドアが開く音がして、ママは顔をそちらに向け『いらっしゃい』と入ってきた客に声をかける。
「あらあ。ちょうどよかったわ。彼がタキくんよ」
ママは僕にそう言うと、キャップを深く被ったその客に、手招きして僕の隣に座るようにすすめた。
彼の顔は良く見えない。隣に座り、ママが紹介してくれた。
「こっちがシマちゃん。で、さっき話したオカズになる声の持ち主、タキくんよ」
「ちょっと!ママ」
僕が慌てるとキャップの彼は大笑いする。あれ?オカズ承認してるの?
すると彼はキャップを上げて、顔を見せた。その顔に僕は目を見開く。
「あ…!」
思わず声を出してしまう。すると彼もギョッとしている。僕らの様子にママは首を傾げた。
「なに?二人とも知り合いなの?」
「あ、あの…さっき話したコンビニの…!」
キャップの彼は、あのコンビニの店員だったのだ。
タキくんの『いつもの声』はどっちかと言うと低い方だった。たしかにママが言う通りのイケメンボイス。何でも接客のときだけは、声が高くなってしまうらしい。
「驚いたっスよ、いつもお昼に来られるお客さんがいたから」
ビールを飲みながら、タキくんはケタケタと笑う。イケメンボイスの彼は良く喋るようだ。それにしてもてっきりノンケだと思ってたのに、分からないものだなあ。
「それにしても、俺、そんなに声変わってます?気にしたことなかったッス」
お昼のコンビニで声がコロッと変わる話をタキくんにすると、苦笑いしていた。
「や、気づいたのは僕だけかもしれないけど」
するとカウンター越しにママが口を出してきた。
「シマちゃんだけでしょ、そんなとこに萌えるなんて」
「ママ!」
店のドアがまた開き、ママはそっちへ向かう。タキくんと僕の間に一瞬気まずい空気が流れた。
「…萌えてくれたんスか?俺の声」
「萌え…たというか、面白いと思って。あと…聞いて良いのかな?手のひらの」
「ああ、この傷?昔火傷したんで。めっちゃ痛かったですけどねー。今は俺の目印みたいになってるんスよ」
「へぇ…痛そう。それにしても、よく僕を覚えてたね」
「俺、人の顔は覚えるの得意で。シマさんはいつも弁当と一緒に飲むヨーグルト買ってるでしょ」「うわ、怖いなコンビニ店員!」
どれくらい時間が経っただろうか。ママが戻って来なくても、僕らはすっかり意気投合して飲んでいた。時計を見るとそろそろ終電がなくなりそうで、帰る時間だということに気づく。
タキくんがトイレに行ってる間に勘定をして、ママにお釣りをもらう。
「ねえ、今日はお持ち帰り?」
「その日のうちなんて、出来ないよ」
「あらあ、シマちゃん紳士だわねぇ。タキくん歳下なんだから、リードしてあげなきゃ」
笑いながらママが店の奥に消えると、入れ違いにタキくんが戻ってきた。
「あれ、お金」
「奢ってあげるよ」
「うひゃ、かっこいいな!シマさん」
タキくんはまたケタケタと笑った。
ママが期待するようなことはその晩はなかった。
ただお互いの連絡先はしっかりと交換して、その日は解散。
少しだけ惜しいなー、なんて思いながらも僕はニヤニヤしていた。
翌日から、お昼のコンビニでタキくんに会えるのが僕の楽しみになった。
声が変わる、と指摘したせいかタキくんは『弁当、温めて』と高めの声で渡すようになっていて僕は思わず笑ってしまう。
するとレジで精算しながら、タキくんは『笑いすぎッス』と口を尖らせ、小さな声で僕に言ってきた。
知り合ってますます僕はタキくんに惹かれていく。メールもたまにくるし、何だか僕らいい感じなんじゃない?
「島崎、最近ご機嫌だなあ」
仕事中に酒井に言われて、僕はまあねとニヤニヤする。恋してるとやっぱりオーラが出ちゃうのかな。酒井に気づかれたようで、彼女出来たなら写真見せろよ、なんて言われた。うん君もよく見る人なんだけどね。
なんて、完全に浮かれていた僕。だけどそのフワフワも長く続かなかったんだ。
「ちょ、タキくん今日飲み過ぎじゃない?」
その夜、いつものバーで飲んでいるとタキくんが結構なハイペースで飲んでいることに気づいた。僕はテーブルに置いてあるタキくんのグラスを奪うと、タキくんは赤い目をしながら睨みつける。
「いいんス。今日は酔いたいから」
「何かあったの?」
するとタキくんは顔をテーブルにうつ伏せてつぶやいた。
「…喧嘩したんス。一緒に暮らしてるやつと」
僕はガツンと頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けて、ブルブルと思わず手が震えてしまった。そりゃ、タキくんに恋人がいるかとか聞いたことはなかったけど…
「一緒にって、恋人?」
タキくんは答えない。僕はああ、と苦笑してしまった。
「恋人じゃなくて、好きな人なんだね」
僕の言葉にタキくんは無言でゆっくり頷く。
おそらくルームメイトなんだろう。相手はタキくんがそんなことを思ってるとは知らない友達、といったところだろうか。
あー、そうだよな。コンビニでちょこっと会うような、くたびれたサラリーマンと良い仲になるわけ無いよな。やっぱり漫画の世界だけだよな。
浮かれてたのは、僕だけだったんだ。
「とにかくっ、飲み過ぎはダメだよ!何が原因か知らないけど、タキくんは良い子だからきっと仲直り出来るさ」
胸のチクチクする痛みに耐えながら、僕は精一杯年上ぶった口調でタキくんを慰める。するとゆっくり顔を上げて、タキくんがうっすら笑顔で僕を見た。
「ありがとう、シマさん」
その笑顔と声に、僕は何も言えなくて、ヘラヘラと笑うしかなかったんだ。
それからしばらくして、僕は半年間、他県に赴任することになった。タキくんの顔を見れなくなるのは残念だったけど、かえって未練がなくなるから良かったかもしれない。
タキくんにはあえて赴任の話はしなかった。ある日、最近コンビニに来ませんね、と心配してくれるようなメールが来た時も、忙しくて時間が合わないんだと誤魔かしてしまった。
そうしているうちに、タキくんからの連絡もなくなった。
そして、半年後に戻った時には、あのコンビニにはもうタキくんはいなくなっていたんだ。
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