邂逅

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邂逅

 すべてが始まったのは、ラテを飲みに春先に立ち寄ったあのカフェだった。 「やあ、マユちゃんじゃないか!」  レジに並んでいた繭子の背後から男の声がして、振り向くと、大学の文学部で同期だった鮎川勇太がすぐ後ろに立っていた。 「お久しぶり!」  ラテを注文し、向こうも一人だったので一緒のテーブルに座ることになった。  同期会など面倒臭くて無沙汰しており、勇太に逢ったのは卒業以来だ。お決まりの、今どうしている、という厄介な質問が飛んで来た。 「どうしている、って、フツーにOLしている」  していた、と言うべきかもしれない。就職先の上司とソリが合わずに退職したのは数年前、それ以来派遣のバイトで何とか生活している。  話の矛先を相手に向けると、勇太は出版社で小説の編集をしているとのことだった。 「へえ、いかにも文学部卒のエリートだわね。芳醇社といえば、大手じゃん」  就活の際に出版社を狙ったものの芳醇社をはじめ悉く不採用だった苦い経緯を思い起こす。忘れていた古傷を掘り起こされたみたいで、勇太の能天気にも見える笑顔が憎らしい。 「大手だと言っても、今や出版界は斜陽産業。これでも生き残りを賭けて必死な毎日だ」  言葉とは裏腹に、勇太は余裕に似た自信を肩のあたりに漂わせていた。  胸を張ることができる日向の人間と、思わず肩をすぼめてしまう日陰の人間。  派遣で数えられないほど多くの会社で様々な人に遭遇したからか、一目でおのずと他人の立ち位置がわかる術が身に着いた。 「マユは、まだ小説とか、書いているの?」  そう言えば、大学時代に同好仲間で文学誌を出したことがあった。振り返ってみると、小説を書きたかったからというより、「文学している自分」に悦に入りたかった、というあたりが本音だ。 「マユの小説、俺、好きだったな」  学生時代にどんな小説を発表したか、記憶は定かでないが、お世辞だとしてもそう言われて、嬉しくないはずはない。  文学部を代表して大学のミスコンに応募し、文学美少女とちやほやされ、眩しいほど陽があたっていたあの頃が蘇る。長いストレートな髪を風に揺らし、胸を張ってキャンパスを闊歩できた若き日々。将来、とか、今となっては眩しい言葉を屈託なく口にできた大学時代。  もしかしてあれが人生の早過ぎたピークで、それ以来、己の前途は下降線を辿っているだけではないだろうか。  薄々感じていた懸念が、勇太と遭遇したせいで期せずして再びリアルな恐怖となり胸を掠めた。  桜散る・・。桜ラテにピンクのチョコで描かれた桜の花を思わず凝視した。 「よしてよ、そんな昔の話」  繭子は思わず顔をしかめた。思い出話などに付き合っていると更に今の自分が惨めになりかねず、早くこの場を退散したい。  幸せそうで満ち足りた人間にはなるべく近づかないこと。  派遣の先輩に教えられた、毎日を無難に遣り過ごすための処世術だ。
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