9人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
ある時、男の曲を聴いた者が言った。
「その曲を戦場で聴いたよ」
男はその戦場に向かった。あの歌声の主、名も知らぬ女性に会うためだった。
女性に会いたい一心で、戦場でヴァイオリンを弾いた。そして、この曲と同じ歌声の女性を捜した。
だが、女性は見つからなかった。
不思議と、太陽の詩を耳にしたとの証言は戦場で得られた。
歌声の主は傭兵か? 戦地ボランティアか?
男は戦場を転々とした。
「楽器を弾いてないで、水と食料を持ってこい!」
戦場で罵倒された。それでも、男は懸命に耐えた。
難民の子供がいれば、自分の水と食料を与えた。
腹が空けば革靴を噛み、喉が渇けば小便を啜った。あの女性を夢見て、必死に生きた。
歌声の主に会いたい。それだけが男の生きがいだったからだ。
やがて、人々が男を噂するようになった。
「盲目のヴァイオリニスト、戦場で太陽の詩奏でるよ」
数十年の月日が過ぎた。
男は海辺の街に辿り着いた。
ある独裁国家が隣の小国に軍事侵攻してきたからだ。
男のいる海辺を拠点として、全土を掌握する戦略だった。
戦争は不可避であった。
「おいアンタ、逃げないと殺されるぞ」
避難する人々が警告した。
男は耳を貸さずに、ヴァイオリンを弾きはじめた。
男は疲れ果てていた。ここで死ぬつもりだった。
海からは上陸部隊の砲撃が迫り、背後からは数知れぬ足音が近づいくる。
それでも、男は弾く手を止めなかった。
いつしか、砲撃の爆音も潮騒の喧騒も止んでいた。
耳鳴りのするような静謐に包まれた。
最初のコメントを投稿しよう!