太陽のヴァイオリニスト

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 ある時、男の曲を聴いた者が言った。 「その曲を戦場で聴いたよ」  男はその戦場に向かった。あの歌声の主、名も知らぬ女性に会うためだった。  女性に会いたい一心で、戦場でヴァイオリンを弾いた。そして、この曲と同じ歌声の女性を捜した。  だが、女性は見つからなかった。  不思議と、太陽の詩を耳にしたとの証言は戦場で得られた。  歌声の主は傭兵か? 戦地ボランティアか?  男は戦場を転々とした。 「楽器を弾いてないで、水と食料を持ってこい!」  戦場で罵倒された。それでも、男は懸命に耐えた。  難民の子供がいれば、自分の水と食料を与えた。  腹が空けば革靴を噛み、喉が渇けば小便を啜った。あの女性を夢見て、必死に生きた。  歌声の主に会いたい。それだけが男の生きがいだったからだ。  やがて、人々が男を噂するようになった。 「盲目のヴァイオリニスト、戦場で太陽の詩奏でるよ」  数十年の月日が過ぎた。  男は海辺の街に辿り着いた。  ある独裁国家が隣の小国に軍事侵攻してきたからだ。  男のいる海辺を拠点として、全土を掌握する戦略だった。  戦争は不可避であった。 「おいアンタ、逃げないと殺されるぞ」  避難する人々が警告した。  男は耳を貸さずに、ヴァイオリンを弾きはじめた。  男は疲れ果てていた。ここで死ぬつもりだった。  海からは上陸部隊の砲撃が迫り、背後からは数知れぬ足音が近づいくる。  それでも、男は弾く手を止めなかった。  いつしか、砲撃の爆音も潮騒の喧騒も止んでいた。  耳鳴りのするような静謐(せいひつ)に包まれた。
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