雨音のあしあと。ひかりに、ふれる。そして、はじまる恋

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車内には雨が運んできた湿った匂いと冷たさを孕んだ熱気。乗客たちのいらいらやかりかりがぴりぴりと張り込めていた。 「次は医科大学付属病院前」 バスのアナウンスが流れる。 どうしよう。次で下りなきゃならないのに。身動きが取れないくらいだから、きっと車内はぎゅうぎゅう詰めなんだと思う。焦れば焦るほど頭が真っ白になってしまい声を出すことさえ出来ないでいたら、ピンポンと音が鳴った。 「運転者さん、次で下りる乗客がいます」 どこからかよく通る高い声が聞こえてきた。 まわりをキョロキョロと見回していたら、 「目の不自由なひとが一番後ろにいるんです。混んでいて身動きが取れないのは分かりますが、通路を空けて下さい」 男性の声が今度はすぐ近くで聞こえてきて。どきりとして顔をあげると、 「俺についてこい」 僕の手より何倍も大きい手が包み込むように握ってくれて、そのまま乗車口に向かって歩きだした。 「二人分でお願いします」 ピッと音が鳴って、 「階段が二段あるからゆっくりでいいよ」 僕が下りるまでずっと手を握ってくれた。 「ありがとうございます」 頭を下げると、 「当たり前のことをしたまでだ。雨で路面が濡れているから転ばないように気を付けて行けよ」 ぱしゃぱしゃと水が跳ねる音ととも彼の足音が遠ざかっていった。 ひんやりと冷たい雨が白杖を握り締める僕の手を濡らすけど、男性の手の温もりはいつまでも残っていてなかなか消えなかった。 はじめて会う人なのに。話しているととても気持ちが安らぐことに気付いた。 名前くらい聞けば良かった。 ぼんやりとそんなことを考えていたら、着替えが入った袋をバスの車内に置いてきたことを思い出した。予期せぬことが続いて頭が真っ白になってしまいそこまで頭が回らなかった。
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